【名称】 全国国際教育研究協議会(ぜんこくこくさいきょういくけんきゅうきょうぎかい)
【略称】 「全国際研」「国際教」「JAFIE」「ジャフィー」
【概要】
1.海外教育研究活動の開始
戦後、海外移住が再開され、農業独身青年の移住が盛んになり、その対象となる青少年に対し、海外移住の正しい理解と発展を促すための教育の必要性が論じられるようになってきた。
県によっては、海外協会(県における海外移住実務機関)が、海外に関心をもち、クラブ活動などを行っている農業高校を「海外移住モデル農業高校」に指定し、資料の配布や講師派遣などの助成をした。
それらの高校では、学校行事や課外活動の中で、講演会や映画会などを開催し、なかには、拓殖講座を開設した学校もあった。
当時、中央の海外移住実務機関であった・日本海外協会連合会でも、これらの教育活動を高く評価し、1958(昭和33)年「海外移住指定高校」(のち、海外移住推進高校と改称)を設定、指導教師の育成と生徒のサークル活動に対し、側面的な援助をはじめた。このような動きは、漸次、全国的な規模へと拡大されていった。
その後、日本の経済は飛躍的な発展を遂げ、国際社会において日本の地位が向上し、国際人としての日本人の教養が論議されるようになってきた。
一方、全国の指定高校代表者の研究集会などにおいても、しばしば、国際理解・国際協力に関する学校教育のあり方とその方法が検討され、より実践的な国際活動を基盤とした「国際社会で活躍できる人材育成のための教育活動」を推進する必要が強調された。
その頃、栃木県の教育委員会や関係機関においては、国際化時代に即応した教育として「海外教育」をとりあげ、海外教育の指導手引書を作成し、実践教育を展開した。
このことは、各県における海外教育の考え方や活動の方向に大きな影響をもたらし、全国の都道府県に「高等学校海外教育研究協議会(県によっては、研究会などの呼称)」が結成されるようになった。
1963(昭和38)年「海外移住推進高校」は、海外移住事業団(現国際協力事業団)によって引継がれ、「海外教育推進高校」(当時500校)と改称された。
2.全国高等学校海外教育研究会(指導教師連絡会議)の開催
海外教育研究活動が定着し、活発化するにつれて、各地区から、全国連絡会議開催の要請が強まり、1964(昭和39)年10月、神戸移住センターにおいて、第1回全国高等学校海外教育研究会(指導教師連絡会議)が開催された。
以降、この研究会は、1969(昭和44)年8月の第6回まで開催され、いよいよ全国組織結成の機運が高まってきた。
3.全国高等学校海外教導研究協議会の設立
・ 設立年月日 1970(昭和45)年10月13日(当時969校加盟)
・ 設立の趣旨
設立にあたっての趣意書は、次のとおりである。
「今日、国際社会の進展は著しく、世界各国は日毎に緊密の度を増し、それに伴い相互理解と相互協力が、ますます必要となっており、“世界は一つ”というスローガンは名実ともに現実の姿となってきております。
わが国と諸外国との交流も、政治、経済、文化などあらゆる分野にわたり多様化するとともに、海外雄飛や海外体験を望む青少年が急速に増大しつつあります。
古来、わが国は地理的にも歴史的にも諸外国と接触する機会に疎く、海外の国情、文化、風俗、習慣、ものの考え方などについて正しく理解することができにくい環境におかれていました。
したがって、望ましい国際社会の一員となるためには、国の内と外にあるとを問わず、正しい国際理解と感覚を身につけ行動することが大切であり、その育成 は学校教育に期待されるところが大きいと思われます。すなわち、国際的視野にたち行動できる青少年の育成は、国民的課題であり、海外教育の目指すところで あります。
そのためには、まず、教育にたずさわる教師自身が、積極的に海外教育の研究に努め、資料の収集や研修を行い、正しい国際感覚を学びとり、国際社会に対する理解と認識を深めることが急務であります。
ここに、志を同じくする者が相集い、相互研さんと相互啓発の場とすることを趣旨とするものであります。」
1970(昭和45)年10月13日
4.文部省中央教育研究団体の指定および日本教育研究連合会への加入
1973(昭和48)年10月18日 文部大臣あて、研究団体指定ならびに補助金交 付の申請
1975(昭和50)年11月1日 文部省中央教育研究団体に指定
1976(昭和51)年2月24日 全国教育研究活動振興会を経由、50万円の補助金交付、同時に日本教育研究連合会に加入
2003(平成15)年度 日本教育研究連合会の補助金が行財政改革の結果廃止になる。
5.全国高等学校国際教育研究協議会と名称・会則の変更
『学習指導要領の改正等、学校教育において国際理解と協調の精神を涵養し世界的視野をもって、国際社会に積極的に活躍できる人材の育成が強調されております。本会は「あゆみ」の通り第2次世界大戦後の海外移住について(農業移住)農業高校卒業後の移住に、正しい知識を体得させる指導に始まり、日本の急速な 進展にともない、飛躍的に海外に進出するようになりました。農業高校の問題だけでなく、日本人として、国際人として、学校教育に期待されるところが大き く、本会は趣意の通り(1960(昭和45)年)設立されました。
その後、本会の「名称」・「目的および事業」等について度々の問い合わせがあり、また「海外教育」「国際教育」の内容については「設立の趣意」の解釈に より同一の見解をとってきました。しかし、会員校の増加にともない、県協議会等より改訂の要望もありましたので、「名称」・「目的および事業」等につい て、会員の解り易いよう、改訂に踏み切りました。
以上の経過より改訂原案を作成し、文部省等関係官公庁および、役員等に配布し、御指導を受け、本会常任委員会の審議を経て、改訂案を作成し、次いで、昭和60年度第1回理事会、1985(昭和60)年度総会(1985年5月30日)において、「全国高等学校海外教育研究協議会」を、「全国高等学校国際教育研究協議会」と、名称および一部会則を変更することを決定いたしました。
目的および事業を達成するため、日本人として、国際人としての、国際教育の深化に当り、南北問題、開発途上国等の開発教育の問題も十分踏まえて、教材とし て十分生かした実践研究を推進することが、本会のあゆみであり、課題であります。会員の教科・科目等の指導に当り、一層具体的発展の推進を期待するもので あります。』(名称・会則改正趣意書)
6. 全国国際教育研究協議会と名称・会則の変更
全国的に中高一貫校、中高連携校、小中連携など、学習内容を相互に確認、補完、連携しながら教育を進めていく方向性が、私立だけでなく公立学校においても大きな流れとなってきた。一方、2003(平 成15)年度からは「総合的な学習の時間」が高校においても教育課程のなかに入ってきた。小中ではすでに実践が進んでいる、総合的な学習の時間の活用も連 携しながら進めていく必要が出てきた。そこで、2003(平成15)年5月30日の全国総会で、あらゆる学校の国際教育に対応できるように、名称のなかの 高等学校を削り、全国国際教育研究協議会と名称及び一部会則を変更することを決定した。
7.最近の活動概況
学校教育を通して、国際理解、特に南北問題、開発途上国等の理解を深め、世界的な視野をもって、国際社会に積極的に活躍できる人材の育成を目指すものである。
この研究実践活動は、各高等学校における教科、科目、学校行事、ホームルーム、クラブ活動等全ての教育活動の中で行われており、とくに、1980年、第17回全国大会(東京)で(当時都高海協)では、各教科・科目において、国際理解と協調の精神を理解させるための指導計画書を発表した。更に茨城大会、栃木大会、愛知大会と逐次一層具体的な実践活動について、研究が進められた。
各都道府県高等学校国際教育(海外教育)研究(協議)会では、各学校の研究実践活動に対し、講師、映画フィルムや資料のあっせん、教師や生徒の研修会・ 留学生との交流会の開催、生徒の研究発表(弁論)大会の開催、研究成果の刊行などを実施しているほか県の協力を得て、教師や生徒の海外研修・援助活動を 行っているところもある。また、地区(東北、関東、東海北陸、近畿、四国、九州)毎に連絡会議を開催し、相互の研究実践活動に関する情報の交換を行ってい る。
全国高等学校国際教育研究協議会では、全国大会の開催、モデル校の設置、研究成果の刊行、調査研究等のほか、国際協力事業団の実施する高校教師の海外研修 派遣や、高校生懸賞作文(平成2年に「エッセイ・コンテスト」と改称)の募集に協力するなどを主な活動内容としている。
1997年、第34回全国大会(東京)からは21世紀の国際教育を視野にいれ、インターネット等の情報メディアを取り入れた国際交流も一つの活動分野として位置づけ、全国際教のホームページを立ち上げ、その活用により全国の活動をネットワーク化する試みも動き始めた。
1998年からは高度情報化社会の流れと日本のインターネット人口の急速な増加のなかで、早くから立ち上げた全国際教ホームページは様々な方面から注目を浴びるとともに会員校も2500校を超えた。
1999(平成11)年には総合的な学習の時間の新設が含まれる高等学校学習指導要領案総則が交付されるのに合わせ、この時間に国際教育・開発教育を実践してもらうための教材出版を東京・全国事務局で行った。
2000(平成12)年には第37回全国大会北海道大会で、従来の、日本の高校生が世界に向け発信する英語弁論大会に加えて、海外から日本に来ている留学生に日本語で話してもらう日本語弁論大会エキジビションを開き、2001(平成13)年、愛媛大会において念願の第1回留学生日本語弁論大会を実施することが出来た。これにより、多文化相互交流のための弁論大会が完成したといえる。
2001年度には2003年の全国の学校ネットワーク化を考慮し各県ごとのホームページ立ち上げと、電子メールやメーリングリストによる連絡を始め、事務局の電子化をすすめた。
2002年度は、1997年34回大会に続き、再び東京での39回全国大会となった。この大会では教師、生徒、市民、外国人がそれぞれの立場から発言し、 いままでの教師だけによる国際教育の枠を打ち破る新しい方向性を打ち出した。しかし、取り巻く環境は、長引く不況のなかで、聖域であった政府ODA予算も削られ、これがJICA、JICEなどの予算縮小につながり、さらに行財政改革のながれで、上部団体である日本教育研究連合会からの補助金も2003年度 から廃止されることとなった。このような財政的な逆風のなかで、任意団体である協議会がそのまま活動を進めていくことには財政的な困難が生ずることは明白 になってきた。その状況のなかでも、活動を継続、発展するための方策として、NPO法人を設立するなどして、積極的に浄財を集める自助努力を行う方向性を 検討し始めた。
2003年度、いよいよ高校に於いて「総合的な学習の時間」が教育課程に組み込まれ実践が始まった。国際教育・開発教育をこの時間を利用して実践する枠組 みができたことは協議会にとってはプラスであるが、逆に国際教育を普及させるための教材開発や研究の成果が明確に評価される時代になってきたことを認識し なければならない。この年、5月30日の全国総会において、「全国高等学校国際教育研究協議会」から高等学校の名前を削り、「全国国際教育研究協議会」と 改称した。これは、全国各地で中高一貫の学校が次々と設立されるのと同時に、私立ではすでに中高一貫が常識で、小学校も含めすべての学校現場で国際教育が 実践できるようにとの方向性からである。また、この年、初めて自衛隊がイラク復興のため派遣されることで、国際協力、国際協調の国民的議論が巻き起こっ た、教育の国際協力も大きなテーマとなり、私たち協議会の責務もますます重要なものとなりつつある。
8.本会の自立
本会は設立の経緯から、国際協力事業団に頼るところが多く、連絡先を「国際協力事業団総務部広報課」にしていたが、わが国において国際協力事業の需要性が急激に高まったため、激務の国際協力事業団を本会の連絡先にしておくことが不可能になった。そこで、1988(昭和63)年2月に協議した結果、本会の自立が決定し、「連絡先:国際協力事業団総務部広報課」をなくして、事務局長の勤務校を事務局として全面的な連絡先とすることに変更し、今日に至っている。
9.本会の業績に対する受賞
国際協力功労者(団体)感謝状受賞 1985(昭和60)年8月1日
贈呈者:国際協力事業団 総裁 有田 圭輔
業績事項
受賞者:全国高等学校国際教育研究協議会
1963(昭和38)年同協議会設立以来、国際協力教 育実践モデル校を設置するなど教育の現場で国際協力、国際交流の教育実践に尽力、また、国際協力キャンペーン、海外移住旬間、青少年海外協力隊キャンペー ン等への積極的な参加、国際協力にかかる講演会、映画会、パネル展など高校生への国際協力についての知識の普及、啓発活動に貢献させてきた。
第25回国際協力功労者 1999(平成10)年7月30日
受賞者:東京都立農産高等学校長 矢田部 正照
表彰事項
全国国際教育研究協議会設立(1969年)当初から会の運営に参画し、以来20数年間組織の拡大、役割の機能強化に尽力し、その間事業団と連携しなが ら、全国的に開発教育の推進に努めた。また、事業団主催の高校生エッセイコンテストの応募勧奨を全国際教の全国的なネットワークを通じて展開し、参加者に 多大な貢献をすると共に、1997年度より審査員として優秀作品の選定に貢献した。
第56回全国国際教育研究大会奈良大会
第8回国際理・国際協力に関する生徒研究発表会について
全国国際教育研究協議会 御中
富山県教育委員会教育企画課の中沖と申します。
標記の大会につきまして、本県の生徒が日本国際協力センター長賞を受賞したことを受け、表彰の関係で、参考にさせていただきたくご連絡いたしました。
決勝にて、6ブロックによる研究発表を行ったとのことですが、
全国からのエントリー数が6チームであり、6チーム中3位(日本国際協力センター長賞)と考えればよいでしょうか。
それとも、予選等があったのでしょうか。
ご教示くださいますようお願いいたします。
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