<実践例>

「世界文化遺産」をどのように授業の中に展開するか

玉川聖学院教諭 幸田 雅夫

1,はじめに
 日本人の宗教は,と尋ねられると大部分の人は,「仏教」と答えるのではないか。神道という答も出てくるだろうが,多くの人は「仏教」を連想する。
 われわれの生活の中で,仏教と一番縁があるのは「冠婚葬祭」であろうか。
 仏教はそれこそ,素晴らしい文化を作り上げている。日本に入ってきたのは聖徳太子の頃となるのだが,われわれが日頃親しんでいる仏教とタイの上座部の仏教では少し形が違っている。時代によりそれぞれの考え方があり,また技術がそこに見られる。
 日本だけではなく,もちろんタイの国においても同様で,一つの「文化」として存在している。世界の中には二度と人間が作ることができないものというのが いくつも存在している。それらを通して,現代のわれわれはどうしたら良いのか,どうすべきであるのか,タイのスコタイをはじめとする遺跡群を見て,授業展 開を考えてみた。

2,展開例
 1)世界文化遺産とは
  ユネスコがあげている「世界文化遺産」とはどのようなものをさしているのか。
  どのようにして,世界遺産は決まるのか。
 2)奈良,京都の文化遺産
  修学旅行などで行った奈良や京都の寺院などを生徒に述べさせる。
  国宝となっているもの,重要文化財となっているものがなぜそうなのか,調べたりしたものを発表させるとより効果的。
 3)文化遺産を守るとは
  すべての人のものであり,国境を離れ普遍的価値をもっているものである。人間が今まで作り上げてきたものを守る人々はどのようなことをしているのか。
 4)タイのスコタイの遺跡
  13世紀にタイで最初に出来た王国がここで生まれ,「クメール」を駆逐し,タイ文字や仏教の導入がされた遺構の面影。
 5)わたし達にできることというのは
  文化遺産を見ること,守ること,昔の人の精神を受け継ぐこととは大切である。もう二度と作れないものが文化遺産である。大切にするということだけではなく,人類すべてのものという考えのもとに,次の世代に何を残すことができるのか。

3,展開内容
1)世界文化遺産
 1972年パリのユネスコ(国連教育科学文化機関)本部で行われた大17回ユネスコ総会で,満場一致で採択された国際条約。正式には『世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約』という。
 1960年代エジプトのアスワン・ハイダム建設によって水没の危機にあったヌビア遺跡の保存移築だった。ユネスコは,ナイル川の流域に広がるアブシンベ ル神殿など古代ヌビア文明の遺跡群を移築し,保存するための「ヌビア遺跡保存国際キャンペーン」を呼びかけ20ケ国以上の国の協力によって,人類の共通の 遺産を守ることができた。
 1970年代に入り,ユネスコの専門家によって文化遺産が,また国際自然保護連合によって自然遺産の国際的保護に関する条約づくりが進められた。1972年のストックホルムで開催された国連人間環境会議で,この二つの条約を一つにすることが提案された。
 「文化遺産」とは文化的価値の高い建造物や遺跡など,「自然遺産」とは,貴重な自然環境を指している。世界遺産条約の最もおきな特徴は,相反するものと 考えられてきた「文化」「自然」を相互に補完するものとしてとらえ,人類共通の遺産として等しく保護の対象とした点である。

<文化遺産の基準>
@ 独特の芸術適性かを示すもの。(例インド「タージ・マハール」)
A 建築物や都市計画・景観に大きな影響を及ぼしたもの。(例ベルサイユ宮殿)
B 消滅した文明や文化的伝統の証拠を示すもの。(例エジプトのビラミッド群,カンボジアのアンコールワット群,マチュピチュ歴史地区)
C ある様式の建築物,あるいは景観の優れた見本となるもの(例故宮)
D 単一,あるいは複数の文化を代表する伝統的な集落,土地利用を示すもの。(モロッコのフェスのメディナ)
E 優れて普遍的な価値をもつ出来事,生きた伝統,思想,信仰,芸術に関するもの。(ポーランドのアウシエビッツ強制収容所)

世界遺産の保存・修復
 世界遺産リストへの登録を決定するとともに,その保護を行うことを目的としている。保護にあたっては,それぞれ民族固有の伝統に根ざされた,文化的特徴 などがあり,その修復には伝統的技法を必要とするため,基本的には世界遺産の管理と保護はその国が責任をもっていくことになっている。自国で遺産の保護が 困難な国は,保護に必要な技術的・財政的援助を同委員会に求めることができる。同基金は,遺産の劣化の原因調査のための専門家派遣や保護計画策定,技術者 や保護管理者の研修,保護に必要な機材の購入,修復,補修工事,専門家の派遣などの技術援助,危機に貧している遺産の保存や保護のための緊急援助などにあ てられ,数多くの文化遺産や自然に参が修復・保全されてきまた。

2)奈良,京都の文化遺産
問 奈良,京都で今まで行ったり,見たり,聞いたりしたことがある寺院で印象に残っているところを5つあげなさい。
問 あなたが,最も好きな寺院をあげなさい。またその理由をあげなさい。
・法隆寺地域の仏教建造物
 聖徳太子ゆかりの地,斑鳩の里に位置する法隆寺界隈。文化財保護法により指定を受けた国宝や重要文化財として保護されている。

古都京都の文化財
 それぞれが意味をもっているものである。ガイドブックなどに出ている内容,また,歴史の教科書などを利用して,発表させると学習効果が上がる。日本の文化遺産などに対して関心をもたす。日本の良さを感じる。

○ 寺院の見方
@ 足元を見る…どのような石で囲まれているか。
A 柱の足元を見る…柱が石の上にのっているか。
B 柱を見る
C 軒を見る
D 床を見る
E 窓を見る
F 屋根を見る
G お寺の配置を見る   (文化財ウォッチング建築編 日本交通公社出版事業部)

3)文化財を守るとは
 奈良,京都の例をあげれば,「宮大工」の仕事などを説明すると,驚くものである。西岡氏の「木に学ぶ」は小学校の教科書にも出ていたので親しみがある。 一つの塔などができるのには,昔からの技術がそこには伝わってくる。一般の家屋ではまず使うことが無い道具などもある。釘を使わないでこれだけのものを作 り上げてしまう人間の知恵に敬服してしまう。
・遺跡を守る人々,どのような人がいるだろうか。
・行政としてはどのようなことをしているだろうか
・その近辺にいる商店街にいる人たち。京都の清水寺の商店街など,修学旅行や観光客相手にどんなことをしているだろうか。

 スコタイの遺跡は以前ジャングルに近い状態であった。しかし,ユネスコからの資金の援助により,修復することができた。ラムカムへン国立博物館に修復前 の状況などの写真が展示されている。「博物館」「美術館」は文化遺産の宝庫である。特に外国の博物館などではガイドブックだけでは不足なことが多いので, 「ガイド」さんに出来ればついてもらい説明をしてもらう。ガイドブックに出ている内容だけではなく楽しい説明を聞くことができる。
 日本の多くの文化遺産では「ガイド」さんがついてくれて素晴らしい説明をして下さる。多くの方は勉強家で楽しく,子供たちにも分かりやすく説明をしてく れる。宮大工のように作る人もいれば,それをサービス業としてまかなう人もいる。また,みやげ物などを売り生計を立てる人もいる。遺跡があればそこに目に 見える人目に見えない人いろいろな人がいることに気がつく。
 国内であれば,あまり抵抗が無いが,地元の人と接するというのはとても楽しいものだ。片言の外国語でも,もし,通じればそこで心が通じる。慣れない生活が外国ではあるが,楽しむことができる。

4)タイのスコタイの遺跡
 タイの仏教はミャンマー,ラオス,カンボジアなどと同じスリランカ系の上座仏教である。経典が漢訳経典ではなくパーリー語である。世俗の生活を捨 て,227条の戒律を守る決意の印として剃髪し,黄色の三衣をまとって僧院での生活を送る出家中JL,の仏教である。日本の場合だと「在家」とあまり変わ らない層の生活であるが,タイでは厳密である。高僧でも新参者でも同じ黄衣をまとう{二,一生の間に一度は短期間の出家をするというのも日本とは違ったも のである。
 タイの寺院建築は日本の木造とは異なり,レンガづくりである。上座部(小乗仏教)がスリランカから来ているために,仏教建築の中にもその流れをくむ。長 い間を経て,タイ様式の仏教寺院が誕生している。寺院には本尊となる仏像を安置したお堂が二種類ある。その一つは「ウィハーン」と称して,一般信徒の礼拝 の場で,もう一つは「ウボーソット」とよんで,得度式が行われるところである。ウボーソットのところには「セーマー」と呼ばれる石が立てられている。
 スコタイの古都に「シーサッチャナライ」がある。ラテライトの石で築いた長方形の城壁で囲まれた外堀がある。寺院とともに宮殿跡が見られる,(ワット・ チャーンローム,ワット・チェーディーテェットテーオ)城壁の長いほうが900mである。城外では「すんころく焼」の故郷で,近辺のレストランや観光客が 訪れる。
 スコタイは守護寺である「ワット・マハータート」があり,史跡公園の中にはトラムが走り,ガイドさんが説明をしてくれる。「ワット・シーサワイ」はマハ タートの南西部にあり,ヒンドウーの神がここで発見されている。ヒンドウー教の寺院を建築することであったらしい。焼きレンガでできた仏塔の中には漆喰が はがれてしまった仏像や,顔や腕がもげてしまった仏像など見られる。もともとは白く,そびえ立つものであったと想像できるが,「廃墟」となっている。植民 地にならなかったことから,遺跡の傷みなどが少ないといわれている。
 仏陀に関するお話がレリーフとして描かれてある。火炎状の宝珠をもつ仏像はスコタイの独特のものである。
 シーサッチャナライもそうであるが,スリランカ,クメールのものそして,スコタイのものが見られる。仏塔のところには「菩提樹」が植えられている。街路 樹を見ると,チーク,タマリンドウ,ゴールデンシャワーなどの木がある。「菩提樹」があるところに「シャカ」との関係を思い出す。

5)わたし達にできることというのは
 シーサッチャナライ,スコタイの遺跡とも焼きレンガで作られている。長い年月の間に遺跡が崩れてしまった。この遺跡が修復される前は,ジャングルになり かけていた。昔のアンコールワットの遺跡など植物が遺跡を覆ってしまっている写真などを見たことがあったが,同じ状態であった。鳥などの糞の中に入ってい た植物の種子が熱帯の植物が育った環境により大きくなり,遺跡を破壊してしまった。それを,長い間かけて修復した。今の技術では修復できないものもあるだ ろう。焼きレンガにしても,長年の間に土になってしまい,良いものを再利用したというガイドさんの話であった。
 写真などで見ても感激というのはあまり無い。CDなどで音楽を聞くのとライブで聴くのではその迫力というのが違う。空気が違う。遺跡を見学するというの は,もちろんそのもののすごさを実体験することであるが,五感で感じることがたくさんある。写真などではどうしても平面で−一面でしか見ることができな い。それを本物とであることにより,文化遺産の大切さを感じる。
 ユネスコなどの遺跡を守るという運動に対して,アクションを起こすことができる。資金を集めることができる人はお金を集め,知識を持っている人はその知識をどこかで披露し,技術がある人はそれを活用して,人類が作り上げたものを守る大切さが今後必要になる。

4,まとめ
 世界文化遺産となると世界的に有名なところであり,一度は経済的余裕と時間があれば行って見たいという気持ちを持つ。「百聞は一見」で写真やビデオで見たとしてもそこの空気を感じることができない。それは単なる知識であり,感動,感激がない。
 日本において,仏教は悪く言えば「葬式仏教」になっているが,タイでは国民の95%が仏教とであるということから,朝早くから托鉢をする僧の姿を見かける。寺院に行けば黄衣をまとった僧をたくさん見かける。仏陀の生活をそのまま厳しい戒律を守っている。
 ガイドブックなりで,知識を深めることは大切である⊂,同じ物を見るにしても,観点が違ってくる。折角行くのであれば,よりたくさんのものを吸収したほうが得である。
 小説の舞台に出てくるようなところを見学するツアーなどもとても楽しいものである。小説の舞台と実際のところがどのくらいの違いがあるのか。歴史物などであれば,作家はどのようにしてそこをとらえたのかなど興味を持つところである。

<参考文献ほか>
「タイ仏教遊行」 田村 仁  佼成出版社
「JTBポケットガイド タイ」 JTB
「文化財ウォッチング建築編」 日本交通公社出版事業部
「文化財ウォッチング仏像編」 日本交通公社出版事業部
「東南アジア要覧」 東南アジア調査会
「東南アジアのチャイナタウン」 山下清海 古今書院
「政府観光局のタイ関係のパンフレット」
「木に学ぶ」 西岡
「文化遺産を守る」NHKソフトウェア  CD−ROM(Win版)

<ホームページ>
   http://www.unesco.or.jp/contents/isan/index2.html