パラオスタディツアー2005に参加して

都立芝商業高校 竹山哲司

 

本研究協議会が後援した「パラオスタディツアー2005」 に実行委員として参加した。このスタディツアーの目的の一つは、参加した青少年たちに、日本のこと特に祖先を再認識して、将来の日本の建設に役立ててもら うことである。予想以上に、参加者がパラオや戦前の日本について関心を持ってくれたことはうれしいことであった。この企画は、2000年1月から始まって今回で 4回目であるが、海外協力の現場を訪ねる旅でもなく、パラオに遊びに行く旅はでもない。今後のあり方としては、戦前にはパラオを含めた「南洋群島」と呼ば れていた地域の日本時代の様子をお年寄り方から聞き取り調査し、両国の歴史に役立てられる資料を作成することができれば良いのではないかと感じている。

 主な参加対象は、東京の中学生または高校生で、国際協力に関心を持っていることが条件である。大学生や社会人の場合は、国際協力や開発教育について実践または研究しているか、今後取り組もうとしていることが条件である。しかし、今回もさらに浮き彫りなった課題は、参加者の男女比である。どうして男性参加者が少ないのか、集まらないのか。問い合わせてきただけの人も含めて男性は5 人だけ。そのうち男子高校生はたったの2人、それも本人からではなくお父さんや担任の先生からであった。冬休みは中学・高校とも3年生が参加しづらいこと はわかっていたが、最近は大学3年生も就職活動等で制約があるという。受験勉強や就職活動では男女差は関係ないと思うが、今回の参加者は、すべて女性で あった。スタディツアーを実施するにあたって、女性が多いことは何の問題でもないが、男性がなぜ少ないのか、疑問ではある。

 このスタディツアーでは、1 週間、それも海外で寝食を共にする。人と人とのつながりが大事である。それゆえ、事前研修(勉強会)を丁寧に行っているし、合宿も行っている。だからこ そ、パラオに行って、人の温もりを実感し再確認し満喫して、帰ってくる。ホームページなどインターネットでも広報しているが、電網(WEB)上だけのつな がりは、大変危うく脆いことを痛感している。WEBをきっかけとして連絡を寄こした人のうち、実際にスタディツアーに参加しパラオ人家庭に寝泊まりしたの は、一人だけである。

  パラオでの主な活動は以下の通りであるが、参加者が最も印象を強くするのは、ホームステイである。全体像をお伝えするには紙面の制約があるので、各参加者 のホストファミリー紹介から、パラオの魅力、参加した高校生たちの感激、国際教育の推進への素材としての有効性などを推察して頂ければ幸いである。

 

第1日 1月3日(月)

 9:00

20:40

成田空港に集合。

パラオ到着。その後、パラオマリーナホテルへ。

第2日 1月4日(火)

10:10

 

13:35

 

17:05

ペリリュー島に到着。2002夏に放映されたNHK番組の内容をたどる。

慰霊碑の参拝。最後の戦士の洞窟。戦争資料館(旧日本軍倉庫)。陸軍輸送機の残骸。ペリリュー飛行場。、戦車の残骸。オレンジビーチ。

展望台(Bloody Nose Ridge)、ペリリュー神社。中川大佐の洞窟、死の谷。日本軍トーチカ跡、日本海軍司令部跡。

第3日 1月5日(水)

8:00

10:00

 

17:50

19:40

ペリリュー小学校訪問。

ロックアイランド遊覧(やっぱり、パラオの海を楽しみたい)。ローズガーデン。ガルメアス島。ミルキーウェイ。海底の零戦。

Necoバスでエピソン博物館へ。

レッド・ルースターカフェで、夕食。磯川さんにお世話になる。

第4日 1月6日(木)

7:50

9:09

10:09

13:29

13:50

16:30

20:30

パラオハイスクール(PHS)で、日本語のクラスを見学。

パラオコミュニティーカレッジ(PCC)で、習字のクラス見学。

ベラウナショナルホスピタル(国立病院)を見学。

シニアシティズンセンターで、お年寄りがバッグなどを編む作業を見学。

パラオ国際サンゴ礁センターを見学。

ホストファミリーとのお食事会準備。「お茶」を披露する。

各ホームステイ先へ移動。

第5日 1月7日(金)

 

13:30

各自、ホストファミリーとの活動。 パラオの魅力を満喫した。

アイライ小学校訪問、生徒と一緒にスポーツ大会。

第6日 1月8日(土)

 

22:30

23:30

各自、ホストファミリーとの活動。

各ホストファミリーが空港に到着し始める。

全員で記念撮影して、出国手続きへ。

第7日 1月9日(日)

0:35

9:55

CO954便、コロール空港出発、グアムへ。

成田空港に到着。帰国手続きの後、解散。

 

1.Errolflynn Temael Kloulechad さんと 大越香織・佐藤史佳

<家族構成>

私たちのステイしたお家は、明るくて楽しいママ Elgina  Sechedui Takeo さん(愛称チナさん)と、優しいパパ Errolflynn Temael Kloulechad さん、そして小学校 に通う11歳のしっかりもの Kirsten Mereng の仲良しな3人家族でした。チナさんの出身はアイライ(Airai)です。パパさんの出身は アルコロン(Ngarchelong)です。バベルダオブ島の端と端です。

 ママさんは日本の熱海に2年間留学してい たことがあり、日本語が上手でした。今は小学校の管理職です。パパさんはベラウ国立博物館のヒストリーガイドです。パラオに来た観光者などに島の説明をし ています。娘さんのMerengは歌やダンスが好きで、2日目に行った地域のお祭りでも歌っていました!!本当によく私たちのことを考えてくれて、本当に 親切なファミリーでした☆

<佐藤史佳のエピソード>

 2日間のホームステイで、とにかくたっく さんの場所に連れて行ってくれました!1日目は朝から‘パラオ海洋水産試験場’でシャコ貝を見たり、パパさんのOfficeがすぐ近くにある‘BELAU  NATIONAL MUSEUM’に行ってストーリーボードの説明をしてくれたり、アイライの‘Bai’に連れて行ってくれたり・・・。いつも「次は何 したい?」と聞いてくれて、私たちのリクエストしたことすべてに快く応じてくれました。2日目にはママさんたちが事前に考えておいてくれた、‘ドウフィン  パシフィック’に連れて行ってくれました。2日とも夕方に、サンセットが見られる場所に連れて行ってくれました。パラオのサンセットは最高にキレイでし た。

 朝食など、食事はほとんどママさんのママ(ディナさん。二見さんがここにホームステイしていました♪)のお家でした。いつも親戚の人たちが集まっている明るいお家でした。ディナさんはタロイモやタピオカ、パラオ特有の魚を使った料理などを作ってくました。2日目の夜は地域のお祭りが家の目の前で開かれていたので、そこでお夕飯をいただいたり、話をしたり、楽しい時間を過ごしました。

 帰りにはパパさんがパラオ土産にとパラオについて色々と書かれた書物と、たくさんのかわいい小物(アクセサリーやマグカップなどなど・・・)をプレゼントしてくれました!2日間を通して、ずっと楽しませようとしてくれて、ほんとに暖かいファミリーに出会えたなぁ・・・と思いました。

<大越香織のエピソード>

チナさんは昔、日本の熱海に語学を習いにきたらしく、日本語が上手!パパさんと東京ディズニーランドに行ったこともあって、今度は家族3 人で行きたいといっていた。日本の歌謡曲もいくつかしっていて、よく上を向いて歩こうを歌っていた。大好きなチョコレートでは、日本のMeigiをよく買 うとか。お職業は、アイライ小学校でオフィスをやっている。実際にそこに連れて行ってもらった。その他にはタロファームをやったり、魚を獲ったりするみた いで、ステイ中はとれたてのタロイモと、パパさんが獲ってきたハタという魚を食べさせてくれた。ステイ中にきずいた事は、パラオではゴミの分別をしないと いうこと。日本だと最低は4つに分けられるが、パラオでは燃えるゴミも燃えないゴミも一緒に捨てられていた。Kirstenは歌や踊り、とにかく音楽が大 好きな子。この前はイベントでパラワンダンスとソングを披露したほどの腕前。ピアノを習ったこともあるそう。私がお土産やさんで買ったリザというパラワン シィンガーのCDを見せて、知ってる?と聞いたら、かなり有名な歌手らしく、Kirstenがもっている新しい方をながして聴かせてくれた。日本語の歌詞 が使われている曲をかけてくれて、Kirstenも一緒になって歌うものだから、私は3分もしないうちに覚えてしまった。ステイしてファミリーがみんな集 まって食事したのはステイ1日目の夕食。すぐ近くのディナさんの家にみんなで集まった。夕飯の前にちょっとダンスを教えてもらった。パラオのダンスは難し いけれど、わりと簡単なチャチャという踊りをペアになって踊った。チナさんはもっと体をくねらせるようにと見本をみせてくれたけれど、そんな余裕はない。 やってはみたけれど、自然にいかず、変な動きになってしまった。Kirstenはもちろん、パパさんとチナさんも素晴らしい踊り手だった。運動した後の食 事はすごくおいしくて、パラオにきて一番楽しい夕食会だった。食事も日本の食事と味付けはそんな変わらない、どちらかというと薄味で、主食がタロイモと聞 いていたが食事のスタイルも朝はトーストに卵、夜はご飯に魚などのおかずだった。でも、パラオの食べ物といったらやっぱりタロイモ。私は普通の芋が出てく る度にタロイモかときいていた。タロイモは私が思っていた味と違って、素朴な感じだった。

たった2 日のステイだったけれど、ホストファミリーは本当の家族のように迎え入れてくれて、帰るころにはもうすっかり家族の一員になった気分だった。だから、空港 に向かう前に「おみやげ」といって貝のネックレスをつけてくれた時は感激で涙が出そうになった。今度パラオに来た時は、ロックアイランドで、泳いだり、魚 釣りをしたりしようと約束してくれた。ロックアイランドはファミリーがパラオで一番好きな場所。静かで、涼しくて、とても素敵な場所…。

 私はまたパラオに、ホストファミリーに会いに行きたい。一生心に残るステイになって良かった。

 

2.Martha  Iechad さんと 保坂理絵

<家族構成>

Martha Iechadさん(72歳)

<エピソード>

以前のツアーの参加者白尾瑞希さんのステイ先に今度はわたしがお世話になりました。

今はお母さんお一人です。州議会議員をされていたというアクティヴなお母さんです。しかしながら、近くには息子さん夫妻やら、小濱さんのステイされたTakeoさん一家が住んでいるのでしょっちゅう行ったりきたりしているようで、さみしくはなさそう。あとはハワイやカリフォルニアに他のお子さんたちが移住されていて、そっちに行っていることも多いそう。

帰国日の夕方には、息子さん 夫婦が遊びに来てくれて、にぎやかにおしゃべりなどする。彼の奥さんのメロディはアメリカ人で、二人はアメリカでであって、パラオに一緒に戻ってきたそ う。コロールの小学校で先生をしている。子供は三人で、女の子が2人でコーラ、カイリ、おちびさんがケンドリック。コーラは大人びた感じで、カイリはとて も明るく、典型的なパラワン。ケンドリックはアメリカのアニメや日本のゲームが大好きで、現代っ子といった感じ。コーラとケンドリックと折り紙教室などし て遊ぶ。二人とも折り紙は初めてではないよう。あとは、お母さんのお兄さんがすいかを片手に見える。「なんにもないようなものですがー」と口にしながら。 82歳だそうだが、お元気で、日本語が流暢でびっくりする。毎日NHKニュースを観ているそうで、紀宮様ご婚約のニュースの話しなどする。一瞬、ここは日 本かな?とか感じてしまった。本当に明るい一家で楽しく過ごせました。ありがとうございました。

 

3.Rena Kloulechad さんと 二見沙綾佳

<家族構成>

私が今回お世話になったお家は、Rena kloulechadさんのおうちでした。家族は、Renaさんとグアム大学から一時帰国中のJaneeの2人でした。Renaさんは、事務の仕事をして います。趣味は寝ることという、とても面白いママさんです。Janneは、20歳でグアム大学の1年生です。会計学を学んでいるそうです。将来は、会計士 になって、パラオにある会社に勤めたいそうです。趣味は、音楽でBACKSTREET BOYS やBRITNEY SPEARSなど私と音楽の趣味が同じで、音楽の話で大変盛り上がりました。

家族は、2人でしたが親戚のお家が近くにいくつかあり、お家に出入りしていたので、いつもとてもにぎやかでした。

<エピソード>

Janne とは寝る前などに沢山お話しましたが、次によく話したのは、親戚の子のMerengでした。Merengは、コロール小学校に通っている、11歳です。趣 味は、ダンス、音楽を聴くこと、歌うこと、電話すること、バレーボール、そして人をからかうこと。という多彩であり、少々恐い趣味を持っている(?)子な のです。そんなMerengの将来の夢は、スパースターまたは、シンガーだそうです。とてもリズミカルで、明るいMerengは私の持ち物にとても興味を 示していました。一番気に入っていたのは、MDプレイヤーです。さすが音楽が好きなだけあるな〜と思いながら、邦楽を聴かせてみると、あんまり・・・とい う顔をされてしまいました。ちなみに今日本で大人気のオレンジレンジの“花”とういう曲でしたが・・・また私が電子辞書を持っていると、大変興味を示し、 使い方を教えると、色々な言葉を沢山検索していました。

そして、MerengとJanneにプリクラ帳を見せると、「この写真サヤカどこ??」と何度か質問され、「自分のいない写真を何で沢山持っているのか?」と聞かれてしまいました・・・日本でなぜか普通になってることだけど、「変なことなんだな・・・。」と感じました。

とても明るくとても楽しい家族で、英会話が苦手な私にもとても親切にしてくれました。

また必ず来ることを約束し、帰国しました。

 

4.Ricky Espis さんと 佐藤久華

<家族構成>

Ricky(74、 昭和5年7月10日生まれ)さんと奥さんのSusauさんに、子供が男3人、女一人でした。長男はMathumotoさん(31or32)、次男は Malaさん。一番下の女の子TawnyはMathumotoさんの子供、つまりRickyさんにとっては孫を子供として引き取ったらしく、18歳の PCCの学生です。三男の方は会う事も無かったため、名前を聞きそびれてしまいました。また次男のMalaさんにも直接会う機会はありませんでしたが、結 婚して近所に住んでいるらしく、お土産にもらったストーリーボードを作ってくれていたのが彼でした。さらにおうちにはMathumotoさんの彼女の シャーさん(40)が同棲していました。ペットとして、ンガドゥ(パラオ語で黒いの意)という黒い犬と、パピーという名の子犬、キティ−と言う名の子猫2 匹がいました。変わったところでは、野生の鶏が朝からせわしなく庭を走り回っていました。

子供達はみんなアイライ出身ですが、Rickyさんはアイメリーキの出身で、今はアイメリーキのルバックとして8位の位を持っています。Susauさんはネサール出身だと思われますが、私が聞き間違えをしている可能性が高いです。

<エピソード> 

Rickyさんのエピソードはかなりてんこもりです!

Ricky さんは戦前日本の教育を受けていたため、とても日本語が上手だったので私たちはしばしば日本語で会話をしました。そのとき戦争中の話をいくらか聞かせても らいました。Rickyさんはペリリュー島に日本兵とともに派兵されていたそうで、ペリリューで死ぬのは誇りだと感じていたそうです。そしてその当時の教 育を受けているから今でもアメリカは好きじゃ無いといっていらっしゃいました。

戦争中に日本人から習った歌を歌ってくださったので、ここにその歌詞を記します。

1男 度胸は鋼の味よ         2流れ豊かな黒龍江の

 だてにゃさげない腰の剣        岸の茂みはわがすみだ

 抜けば最期だ 命をかけて       水を鏡にひげ面剃れば 

 指も指させぬこの守り         パラオ娘も一目惚れ

歌全体の雰囲気が凛々しく感じますが、どこそことなく戦争を感じる歌詞ですね。

戦後は漁師としてパラオ近海で船をあやつり、今はパラオの海で分からないところは無いそうです。また1年だけオーストラリア人とワニ狩りをしていたこともあるそうですが、ワニの数が減ったため中断したとの事でした。以上の様に、Ricky さんは日本語が達者で考え方も日本人と似通っているところがある様に感じられました。そしてRickyさんは軍歌のみならず演歌も大好きだそうで、おうち にはたくさんのテープとヴィデオ、そして自分のカラオケを録音したテープなどまでありました。私もついて早々、Rickyさんちでみたのは演歌のヴィデオ でした。さすが好きと言うだけあって、歌うのもかなりお上手でした!!

そしてRickyさんの驚くべきところは 74歳にしてバリバリ漁師も猟師もしちゃうパワフルさです。ホームステイ2日目の夜、日本にたつ私の前に出された夕飯の豪勢な事!体長30cmはありそう な大きな白身のお魚に、真っ赤な腕をにょきにょき突き出したマングローブガニ、そして極め付けはまだ毛皮をきたままで仰向けに煮込まれたフルーツバッ ト!!(コウモリの一種)すべてリッキーさんが一日で採ってきたものだと言うから驚きです。74とは思えぬパワフルさにかなり圧倒されました。

 奥さんのSusauさんもRickyさん と同年代ですが、学生時代に入院していたため日本語は習っておらず、英語もほとんど分からないのでパラオ語のみを使っていました。それでもコミニュケー ションをとりたいから身ぶり手ぶり、ちょっとパラオ語も齧って、少しは会話できたかなぁ。。と言った感じです。

Ricky さんちで一番一緒にいたのはシャーとTawnyでした。二人とはTawnyの友達の車でオギワルの方まで遠征しました。シャーはアメリカに留学経験がある ため流暢な英語を使い、Tawnyとは二人で色んな話をしたり、ビンロウジュを噛む、チューをしたりしました。あれはかなり苦いし、頭がディジーな感じに なります。実際ビンロウジュには4級アンモニウムアルカロイドのアレコリンが含まれるため軽い麻薬作用があるので現地では習慣化してるのかなぁと思いま す。ちなみにTawnyとかNewKBbridgeに夕日を見にもいったのですが、そこもすぐ海に入られる様な形になっており、大抵週末はそこで泳いでい るそうで彼女のお気に入りの場所だと言っていました。

 そんなこんなであっっっと言う間のホームステイが過ぎ去りました。でもまた会える気がしてなりません。パラオは今回で3度目だけどいつでも馴染み込める柔らかい空気が息ずく島なのだと感じています。

 

 

5.Robert  T. Ngireblekuu さんと 

               萩原恵・倉本奈緒・甲斐幹彦・竹山哲司

<家族構成>

 パパさん  Robert Ngireblekuu (ロバート ニレブレクー) 酋長(ルバック)

 ママさん Korang (コーラン) 小学校の先生

 次男   Donley (ドンリー) 建設業

  三男   Bricewill (ブライスウィル) アメリカの大学(ミズーリ州)に留学中

 三女   Doleen (ドリーン) 婦人警官

 四女   Daisy (デイジー) 主婦

 前妻   Francisca(フランシスカ)

 長男   Temdik (テンディック) 警察官

 長女   Doleen (ドリーン) ハワイ大学に留学中

 次女   Bernie (ベニ−) アメリカの大学(ミズーリ州)に留学中

<エピソード>

 パパさんはアイライ州の最高位の酋長のトップで、ママさんはアイメリーキ州のクラン(氏 族)出身です。パパさんの職業は定年退職しましたが、アイライ小学校の校長先生で、ママさんはアイライ小学校に現在も勤めています。生徒に聞いたところ、 ママさんは優しい先生のようです。パパさんは生徒との交流をとても大切にしているようで、たくさんの生徒に話しかけていました。Ngireblekuu ファミリーには青年海外協力隊の青山 祥子(さちこ)さんがホームステイしていました。三人は本当の家族のようにお互いを大切にし合っていて、三人ともそれぞれ魅力的で素敵な関係を築いていま した。

 パパさんとママさんは、見ていてほほえましくなるくらい ラブラブで、パパさんがママさんを見る目がとても優しいのが印象的でした。パパさんはハンサムでプレイボーイのようです。ママさんはダンスが好きらしく、 朝ご飯を作りながらさちこさんの前でダンスを踊っていました。二人は何となくお互いがいる場所を把握していて、パパさんはよくいたずらっ子のようにママさ んからいつも叱られると言っていました。パパさんは心臓病を煩っていて、私たちのホームステイもおそらく無理して受け入れてくれただろうに、そんなそぶり は微塵も見せないで、いつも私たちが楽しめるように気を使ってくれていました。

ホームステイの一日目はパパさんが私達にどこでも好きな所を見られるように車を貸してくれました。この日、私たちはアイメリーキに行ったり、PPR(Palau Pacific Resort ホテル)でサンセットを見たり、WCTC(ショッピングモール)で買い物をしたりして、帰りが遅くなってしまいました。パパさんは刺身をさばき、ママさん はおいしい料理と暖かいスープを作って待っていてくれました。後でさちこさんから聞いた話では、パパさんは「彼らが楽しめるなら別に遅くなっても全く気に ならないよ」と言っていたそうです。私はその言葉を聞いて思わず胸が熱くなりました。もし私がパパさんと同じ状況になったとして、会って間もない外国人 (竹山さんだけは6年の付き合いになります)に車を貸し、同じ言葉が言えるだろうか疑問です。パパさんはいつもさちこさんに「パラオの人はお互いに助け 合って生活するんだよ」と言っているそうです。私はパパさんを見て、酋長のトップに選ばれた理由や酋長がどのようなポジションなのかが何となくわかるよう な気がしました。

 二日目はパパさんがさちこさんと私たちを、釣りに連れて 行ってくれました。パパさんは釣りをするだけでなく、景色がきれいな場所や洞窟や戦争時に墜落した飛行機がある場所に連れて行ってくれました。私たちは、 パパさんの演出にただ驚かされるばかりでした。私は一日でパパさんがなぜプレイボーイなのかがわかってしまいました。最後に空港で私たちはそれぞれ素敵な ペンダントをもらいました。

 あっという間に二日間のホームステイが終わってしまいま したが、私はパラオの人々の暖かさに十分すぎるほど触れた気がしました。楽しい思い出をくれたパパさん、パラオに来たらまた泊まりに来なさいと言ってくれ たママさん、いつもさりげなく私たちを助けてくれたさちこさんに何度感謝しても足りないくらいです。本当に楽しいホームステイでした。

 

6.Takeo Kloulechad さんと 小濱真澄

<家族構成>

私が、ホームスティーさせていただいたホストファミリーはKloulechad 家でした。Takeoお父さん(62歳)、Hinakoお母さん(61歳)はとても仲のよいご夫婦。Takeoお父さんは、以前は国家公務員だった。現在 は気候の良いときは漁に出ているとのこと。3人のお孫さん、Leah (21歳)、Villiah(15歳)、Elong(15歳)と一緒に暮らしています。Leahは、カレッジでアートを勉強しており、 Villiah(15歳)、Elong(15歳)は、セカンダリースクールの学生。とても大人っぽい半面まだ茶目っ気がある彼女たちと、寛大で温かい Takeoお父さんHinakoお母さんに囲まれて過ごした2日間。

<エピソード>

お父さんの演歌に感動

一番感動したのは、お父さんのTakeoさんが、一昔はやった美空ひばりの演歌を歌ってくれたことでした。日本語で何曲も歌ってくれた。歌のリズムに合わせて拍手しながら聴き入っていたら思わず目に涙がこみ上げてきました。演歌を通じて何か昔の思い出をシェアーできたような気持ちになりました。

よく働くお母さんの背中

お母さんのHinako さんは、よく働く。朝5時ごろ起きて、7時ごろから11時まで毎日タロイモ畑で働き、畑から帰ってきたら椰子の皮を剥いたり、タロイモを茹でたりして、夕 方まで働きます。よく働くHinakoお母さんの背中を見て、私の淡路に居る母の背中をふと思い出しました。日本でもパラオでも、戦後の変化する時代を生 き抜いてきた60歳代の女性(お母さん)たちは、身体的にも精神的にも忍耐強く、美しく歳を重ねていると思いました。

 

7.Vicky  N. Kanai さんと 宮本里佳子

<家族構成>

私がステイしたKanaiさん宅は、お父さん、お母さん、長男のRalph、次男のReynald、長女のVirian、三男のRussell、双子のVeraとViola、末っ子のBelsechel の七人兄弟の一家です。

長男のRalph アメリカ、三男のRussellはグアムで働いています。次男のReynald は妻と0歳の息子と共に家の近所に住み、双子のViolaは夫と3歳の息子とコロールに住んでいます。双子のVeraはViolaの家の目と鼻の先のとこ ろで一人暮らしをしています。長女のVirianは離婚していて今は、4歳の息子Keemoと共にKanaiさん宅の2階部分にすんでいます。3階部分に お父さん、お父さん、小学校6年生の末っ子のBelsechel、1階部分には家政婦さんが住んでいます。お父さんは警察官を引退し今は探偵事務所を経営 していて、次男のReynaldはKanaiさん宅内で建設会社を経営しています。長女のVirianはコンチネンタル航空で働いているが、歌手でもある のです。

<エピソード>

 金曜日は一時帰国していた三男がグアムに戻り、翌日はお父さんとお母さんがマニラに旅行に行くなど、Kanai さん一家は忙しかったため、特にどこに行くでもなく基本的に家でのんびり過ごしました。このツアーメンバーの誰よりも『パラオな時間』を過ごしたのではな いでしょうか。夕食は家族みんなが集まって、バーベキューをしました。バーベキュー以外にスパムチャーハン、海苔巻き、天ぷら、お刺身、かになど豪華な料 理がたくさんあり、その量の多さに驚きました。海苔巻き作りには私も参加をして、ちゃんと巻きすだれを使ってきゅうりとたくあんの海苔巻きをせっせと作っ ていました。パラオの人がたくあんが好きというのが凄く意外でした。

 Kanaiさんが経営している Beauty Shopは2人のフィリピン人のおかまが働いていました。私の研究レポートは「パラオで働くフィリピン人について」なので、これはいいチャンスと思い、お かまのアイコさんにネイルケアをしてもらいながら、色々と聞きづらい質問を投げかけてみましたが、彼女はとても悲観的な人だったので話をしているうちに、 どんどん場の雰囲気が悪くなり、私は質問しなければよかったと後悔するほどでした。どうにかしようと私は、一生懸命彼女を褒めその場を切り抜けました。 「パラオで働くフィリピン人について」事前研究で調べていたので分ってはいたのですが、人から直接聞くと身にしみてその辛さや大変さを感じました。

家族の人たちとはテレビを見ながらよく喋っていました。私もKanaiさん一家もDestiny’s Child 、Usher 、Christina Aguileraなどの歌手が好きなので、その話で凄く盛り上がりました。みんな凄く親切で、フレンドリーで私はまた絶対Kanaiさん宅にホームステイしたいなと思いました。