榊:
第40回の記念「コラボレイト講演会」「国際教育が拓く、21世紀の新しい知」ということで、お二人の先生方にご登場願います。ページの48ページから先生方のプロフィールが載っております。ご覧いただきたいと思います。今回の講演会につきましては、お二人の先生方、本当にお忙しい中を駆けつけていただきました。まず東京の方から、世田谷ボランティア協会の理事長としてご活躍でございます。その一方、いくつかの大学でボランティア学ということで今一番人気の大学の先生でございます。また、大阪からは、帝塚山大学の米田先生にお越しをいただきました。先生には、国際理解教育学会の会長としての本当にお忙しい中を、また、駆けつけていただきました。今回は、まず30分、先生方にお話をしていただく中でお二人の方からそれぞれの中身についてご質問していただくと、私の方からもいくつかの質問をするということで17時15分ぐらいまでいきたいと思っています。それでは、まず最初は、世田谷ボランティア協会の興梠先生の方からお願いをいたしたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。
興梠:
みなさん、こんにちは。米田先生よろしくお願いします。米田先生と久々にお会いいたしまして、今日は二人でみなさんにお話できるのを光栄に思っております。私は、出身はこの隣の県の宮崎県の出身でございます。まあ、たまたま縁がありまして、大学を出て読売新聞の記者をやって、まあそこで国連の会議などのボランティア活動に関する会議などを取材していくうちにボランティアについて関心を持つようになりまして、全国的なボランティア活動を育て、支援する機関で仕事をしたりしておりました。現在ではボランティアについて、また、生涯学習社会論とか青少年教育について研究をしながら、学生と一緒に勉強する、また一方で市民の力でボランティアセンターを運営するということをやっております。今日、先ほどご紹介がありました肩書きの世田谷ボランティア協会といいますのは、1981年に世田谷区内の150のNGOボランティア団体がネットワークをしまして、市民自らがボランティアセンターを作り上げて現在運営しております。22年前はたった一人のスタッフを置いたんですけれども現在では約60人のスタッフを抱えておりまして、世田谷区内に13の拠点をもちながら全国最大のボランティア機関としてみんなの手で運営されております。また一方で、全国や国際的なボランティア推進機関の運営にも参加させていただいています。今日は国際教育の専門家の先生方に対して、特に私の専門であります、ボランティア活動と教育ということについての、絞った形で最初30分間ほど問題提起をさせていただきたいと思っております。
実は今朝、朝早く飛行機に乗って飛んで来たんですけれども、国際ボランティア会の駐在員をしている市川という若いスタッフからメールが届いておりました。トラックにゆられて3日間、ロバの背中に乗って2日間、5日間かかって食料のない人々のために食料支援をしている、その自分たちの活動に対して歓声を上げて待ってくれる人々がいる。しかし、その一方で、何十倍の人々が貧困と貧しさの中で亡くなっていく。自分たちが一所懸命そうやって苦労して食料を届けている一方で、現実としては、根本的な国際的な問題、人権・命の問題が解決しない。そのジレンマを感じながら、活動しているというレポートが入っております。今、私のもとから育った若いNGOのスタッフ達が、おそらく世界の国や地域でみんな同じようなジレンマを感じて仕事をしているんじゃないかというふうに思います。そういうふうに考えてみますと、せっかく新しい21世紀というのが始まったにもかかわらず、正直言って、毎日毎日心の霧というものが晴れない毎日というような感じがいたします。ご存知のように、国と国とが対立していくだけではなくて、地域間の紛争や民族間の紛争、宗教間による対立、さまざまな対立というものが世界中渦巻いておりますし、また一方で、強い国一国が軍事力をもって支配していく。問題解決の中に介入し、それが泥沼化しているというような現実も実はあるわけです。今から、3年前、西暦2000年のちょうど10月頃だったと思いますけれども、私は福岡で開かれました、国連協会が主催する国際シンポジウムにシンポジストとして出席いたしました。この2000年の秋に開かれました国連協会の主催のシンポジウムは、皆様ご存知の西暦2000年、20世紀の最後の年を飾る平和の文化国際年を記念したシンポジウムでした。それを担当しましたのは、国連のユネスコでございます。この平和の文化国際年を記念する20世紀最後のシンポジウム、皆様ご存知のように、UNDPが1996年に問題提起をしましたヒューマンセキュリティの問題が提示されていたわけです。20世紀というのは、実は戦争の時代でもあります。また、一言で言いますと、断絶の時代でもあります。国と国を、民族と民族、さまざまなイデオロギーの対立があって、さまざまな断絶というものが生まれて、私たちは一緒に共生して生きていく社会というのを成し遂げることはできませんでした。この20世紀の最後を飾る、この人間の安全保障という、ヒューマンセキュリティというテーマを掲げて、そしてそれを糸口にしてユネスコが何ができるのか、私たち国やそれから国連という行政機関だけではなくて、民間の市民やNGOが何ができるのかということを話し合ったのがこの国連協会の主催したシンポジウムだったわけです。そこで私はこういう話をいたしました。20世紀はこれで終わるんだけれども、しかし、よくこの年を国連は平和の文化国際年という国際年にしてくれたという話をまずひとついたしました。それと同時に、実は、21世紀、つまり、あくる年のことです。西暦2001年は、また大変意味のある年を国連はまたやってくれたという話をいたしました。20世紀最後の年は平和の文化国際年でしたけれども、あくる年の21世紀の最初の年、世紀末から新しい世紀へ、この新しい世紀の年は、皆様ご存知のボランティア国際年という年でした。つまり、そこに大きな意味があるというふうに思います。断絶の時代から、結び合う時代へということを考えていきますと、まさにその新しい世紀というものは、今まで断絶してしまった様々な社会的な現象、私たちの危機を生み出していくもの、それを一つ一つ紡ぎあったり、結び合ったりしていく、そういった新しい時代にしていかなければいけないということです。おそらくそれがボランティア年の大きな趣旨だったというふうに思います。このボランティア国際年は、UNDP(国連開発計画)が実は担当したわけなんですが、私も含めて様々な国際的なセミナーや会議というものを開きました。日本の国内でも草の根の身近な地域の問題に取り組んでいる様々な市民たちが立ち上がって、思い思いのスタイルでボランティア国際年の意義について話し合ったわけです。20世紀が対立の時代だと言いましたけれども、それを打破していく一つの方法として、国家でもない、民族でもない、また宗教観という利害の対立でもない、新しい公共というものを生み出していく、新しい結ぶ役割をしていく人々が必要だ、また、社会的な投資と言いますか、そういうものが必要だということを、私たちは問題提起をしたわけです。その一つがボランティアというものです。実は、ボランティア活動というものは、大変曖昧なもので、しかも頼りないものです。一人一人の良心の契約によって始まっていく活動です。従って、その良心というのは、長続きしない場合もありますし、そのときの人々が置かれている社会的な条件やそれから生活の条件によってもその意思というものは変わってきます。しかしその小さな力ですけれども、そういった人々が一人一人が力を出し合い結び合っていけば、実は、国家や民族やそれからまた地域を越える役割も果たしていくわけです。今、国際的な舞台の中で、国連をはじめとする行政機関とは別にもう一つの公共ということで、新しい一つの活動というものが生まれています。それが皆様ご存知のNGOやまたボランティアによって支えられている様々な非営利団体の活動ということになるというふうに思います。
実は、今、世界ではこのボランティア活動というものについての教育力というものに大変注目しているという現実があります。短い時間ですが、その中で私自身がヨーロッパやアメリカを回りながら、特にアメリカとイギリスで行われている新しいボランティア活動の教育力というものを活用した教育実践についてご説明したいというふうに思っております。ボランティア活動の教育力に注目した一つの事例として、イギリスで行われているシティズンシップ、ちょっとまあレジュメの最後の方に書いているんですが、私はそれを市民学習というふうに訳しておりますけれども、それが一つです。もう一つは、アメリカで1960年代から試みられて、特に90年代の終わりから2000年にかけて大ブレイクしているボランティア活動の持つ教育力を活用した教育というもの、サービスラーニングというもの、この二つをご紹介し、問題提起をさせていただきたいというふうに思います。
私たちのようにボランティア活動について研究する者、ボランティア活動と教育というものを結びつけて研究する者にとって、ボランティア活動の教育力というものは、次の三つがあるというふうに私たちは言っております。これは日米英の研究者によって相互に確認された理念です。まず一つは、従ってこれは英語と日本語になっております、personal
insightといいます。自己への探求、まあちょっと言うと難しいんですが、ボランティアを通して若者たち、子供たちが自分自身の生き方を発見していくということです。パーソナルインサイト、自己への探求、自分自身の生き方を見つめ、そして自分自身の生き方を発見していく。自分が一体何のためにこの世に生まれ、何のために生きていてそしてどう生きていけばいいのか、その自分自身の存在の意味というものを確認していく。まあそういったものがボランティア活動の一つの教育力としてあるのではないか、パーソナルインサイトというふうに私たちは言います。二つ目に、understanding
social issues というふうに私たちは理念づけているんですけども、社会問題の理解ということです。子供たちが自ら自分たちの暮らしの中で起こっている地域社会やまたグローバルな社会の様々な問題や課題に触れることによって、またこれを単なる経験として終わらせるのではなくて、その問題解決のために様々な形で実践を通して試みてみるということです。発達段階に応じて小さい子供から若者まで、自分たちなりにどうすればその問題が解決できるか、自分たちなりにそれに取り組んでみて、またそれは失敗し課題が残りさらにそこから新しい学ぶテーマを見つけ、また失敗し課題が残りそしてまた学び直していくというそのプロセスの中に大変大きな意味がある、ということです。社会問題を理解していくということを通して、自分自身が一人の市民として責任ある社会の主役・主体としての自覚と責任というものを身につけていくということです。それから三つ目がapplication
of skillsというんですが、学習成果の応用ということです。日頃自分たちが学んでいる、小学校で言いますと国語・算数・理科・社会、中学校ですと数学や様々な教科、高校でもそうです。大学でもそうです。アカデミックな学問というものが一体何のために自分は学んでいるのか、算数や国語というものは一体何のためにあるのか、算数や国語の持つ、社会の人々に対する影響力・力というのは一体何なのか、ということ、つまり自分が何のために学び、また学んだことを私たち自身のすべての人々の幸せのためにどう生かしていくのか、ということ、つまり学習成果の応用ということ、これをボランティアを通してやるということなんです。自己への探求、そして社会問題への理解、そして学習成果の応用。ボランティアという活動というものの教育力を通して、子供たちが自分を見つめ、そして社会を見つめ、また自分たち自身が学んでいる学問とクロスさせることによって、私たちのアカデミックな学問というものは一体何のためにあり、何のために国語・算数・理科・社会を学んでいくのかということの自覚を持っていくことなわけです。
この一番目に関しては、みなさんよくおわかりだというふうに思います。先生方が、生徒たちがボランティア活動を通して、例えば、「あなたは本当に役に立つ人ね。社会のために本当に役に立つ人だ。あなたは本当に必要とされる存在だ。」と言うことがいかに子供たちを生きていくための勇気やエネルギーにつなげていくか、また子供たち自身が自分をややもすると不安でまた自分自身を確認できない、霧の中にあるような自分を他の人や周りの社会から必要とされる存在として認められることによって改めて自分自身を肯定的に見つめていくことができる、また自分自身はたとえどんなことがあろうとも信じている限り自分自身の可能性というものはあるんだということを自覚していく、ボランティア活動には大変大きな力があります。そして自分自身が生きている意味というものを活動を通して確認していくということです。それは先生方は生徒たちと一緒にその実践をしていればもうおわかりだというふうに思います。
二つ目の社会問題の理解ということです。このようなことで大きく取り上げて教育実践の中に取り上げている国があります。それがシティズンシップです。みなさんご存知のように、1970年代に登場いたしましたイギリスの保守党政権、マーガレット・サッチャーさんを中心にした政権は極端な競争主義というものをとっていきました。これはある面で、イギリスにはかつてなかった、日本で言いますと文部省のような機関がそれまでなかった、国が教育を司る象徴を作り、またナショナルカリキュラムというものを定め、競争主義というものを導入することによって、確かにイギリスの国は学力というものが向上していったわけです。しかし一方で、様々な問題も引き起こしていきました。放校処分、例えば成績の悪い子供は学校から放校する、そしてナショナルテストの平均点を上げていくために切り捨てが行われていった。一方で、学校というものは厳しい競争の中に煽られていって教職員の方々もそこで職を失ったりしていく場合もあった。子供たちは学力向上の反面、様々な心理的な問題や心や社会性の問題というものも一方では引き起こしていき、イギリスでもボランティア活動に参加する率が40%を超えている国ではあるんですが、年々低くなっていくというふうにも言われておりました。また、十年間の間に、自殺率が10倍に上がるというような問題やいじめの問題も起こってきました。また、様々な言葉や文化の違う子供たちが差別をし合い、人権を弾圧し合っていくという現実も起こってきたわけです。その後登場しました、ブレア政権(労働党政権)は、そういった現実に対して修正を加えていく政策を行っていきました。教育改革の大きなテーマは、education
for citizenship という教育改革のテーマでした。日本では、皆さんご存知のように、生きる力を育むということなんですが、よりよい市民になるための学び、ということをメーンテーマにしまして、ブレア政権は様々な英知を集めて、特にこれからの英国の教育はNGO・NPO、イギリスではボランタリーセクターと言いますけれども、このボランティア団体とのコラボレーション・共同しかもう行く手はないとさえブレアさんは演説の中で言ったわけです。この民間の非営利セクターと行政が一緒になって、教育行政が一緒になって、新しいイギリスの市民を作り出して、新しい活力を生む、また子供たちを育てていこうというのが、市民学習の一つの主旨だったわけです。
私は今から5年前からこのイギリスの市民学習を実は追いかけてきたわけです。数年前からイギリスはその準備をしてきまして、昨年の9月1日から、新しい9月の新学期から、いよいよこの市民学習というものを、シティズンシップというものをスタートいたしました。イギリスでは、中等教育では、イングランドとウェールズ地域におきましては、必修科目、公立の中等学校で必修科目といたしました。1週間あたり2時間から3時間、総合学習となんか似てるんですが、設定を行っていきまして、その市民学習を必修科目として進めていく。当然のように、今から6,7年ほど前から、各大学やまた現役の先生たちを対象にして、このシティズンシップを教える、教科を教える先生の育成も実は行ってきたわけなんです。こうして昨年の9月、このような形でスタートしていったわけです。市民学習の目的についてちょっとご紹介したいと思うんですが、簡単にお話しますと、3つあります。1つは文化的・倫理的能力を育んでいくということです。カルチュラル、それからモラルリスポンシビリティというんですが、文化的・倫理的能力というものを育んでいく、自己への探求とちょっと似ているところがあります。2つ目に、社会的能力というものを育んでいくということです。つまり、青少年の社会力というものを育んでいくということです。3つ目が、ポリティリカル・リスポンシビリティ、つまり、政治的能力を育んでいくということです。これは別に特定のイデオロギーや政党を支援しようというのではなくて、自分たちはどのような市民としての権利を持っているのか、その問題を解決していくために、様々な政治また行政というものが行われている、私たちはその政治・行政というものに対して正当に参画することによってこそ、社会というのは豊かでまた構築されていくことになるんだということで、政治的能力というものを育んでいくということになっております。
こういった市民学習には、2つの学習の方法があります。1つは知的理解です。教科書などを通して、たとえば民主主義、人権、そして政治のしくみなどについて勉強する。また、地方の議会を舞台にして模擬議会をやる、裁判所を舞台にしまして模擬裁判をやる、様々な形で、知的に市民というものの文化的・倫理的な役割、それからまた社会的役割、そして民主的な役割というものを勉強していくということです。
もう1つは、体験的理解です。この体験的理解という一つの方法で注目されているのがボランティア活動の持つ教育力です。この体験的理解は、身近な地域社会を舞台に、つまりキャンパスにして、子供たち自身が実際に地域社会の中に出かけていく。ただ体験するだけではなくて、様々な社会問題に触れ、その問題を解決することを試みてみるということです。
また、身近な地域社会だけではなくて、実はグローバルな社会の問題を取り上げていくということも、実は大きな市民学習の目的になっております。ということは、いわゆる、英国の市民というだけではなくて、グローバルシティズンシップ、グローバルな社会の中のシティズンシップというものを身に付けていくというものも実は大きな目的になっております。なぜならば、たとえば、私がずっと通っているロンドンの最も貧しい地域、カムデン地域にあります、ハバストックスクールというのがあります。これは伝統的に、今から二十数年前から、熱心に先生たちの教育実践によってコミュニティサービス、地域に出かけて行ってボランティアしながら学ぶという教育実践をよくやっている所でした。24年前、私が初めて訪れた時には、その公立の中等学校では、7つの言語をしゃべる子供たちが一緒に学んでおりました。イギリスの英語をしゃべるだけではなくて、違った文化を持つ子供たちです。しかし、昨年訪れてみますと、なんと79の言語をしゃべる子供たちが公立の中等学校で一緒に学んでいるわけです。一つ屋根の下です。国籍にしますと42、言葉にしますと79です。宗教の時間になりますとこれは大変です。給食の時間になってもこれは大変です。そしてまた親の教育観もみんな違うわけです。それぞれの違った文化的な背景を持った子供たちが、一つ屋根の下で学校という社会に暮らし、地域社会に暮らし、また、英国の市民として暮らしていくわけです。いかにそのような違った文化を超えて共通の価値観というものを身につけ、そして、英国の、またグローバルな市民としての共通の倫理観や価値観を身につけていくことの壮大な実験を、この市民学習を通してやっているわけです。
3つ目のご紹介をしたいと思うんですけれども、先程ちょっとご紹介しましたボランティア学習の3つの目的、学習成果の応用ということです。これはアメリカで60年代ぐらいからスタートし、特に80年代ぐらいから大ブレイクをしております、サービスラーニングという教科教授法のことです。教科を教える教授法というふうに書きます。このサービスラーニングという教科教授法は、アメリカでは大学から発展してまいりました。私が初めてアメリカの大学の調査をした2000年の時には、すでに800の大学が実はこのサービスラーニングという教科教授法をそれぞれの大学で進めていくために、研究し、またお互いに研鑽し合っていく大学のネットワークができておりました。これをキャンパスコンパクトというふうに言います。ハーバード大学、スタンフォード大学、ジョージメイスン大学、そしてブラウン大学の4大学の学長たちが呼びかけまして、全米の州立大学、私立大学の学長さんに呼びかけて、学長が直接サインして作った、約800大学のコンパクト、いわゆる協議会と言いますか、もうちょっとそれを進めていくための推進組織というようなものなんです。今やアメリカでは、アカデミックな学問を学生たちが学ぶ時に、ただ教科書と先生の講義と教室の中で授業する時代は終わっております。これはすべてのアカデミックな学問に通じるものです。たとえば、労働法でもいいです。医学概論でもいいです。何でもいいです。すべての教科というものをただ知識の習得というだけに終わらないというのがアメリカの大学です。たとえば、労働法の先生が、自分の労働法の授業の中にサービスラーニングという、社会貢献学習というふうに言えばいいのかわからないんですが、まともな訳はないんですけれども、こういったサービスラーニングを導入したいという場合には、1年間のたとえば労働法のカリキュラムの中に何十時間ぐらい入れようというふうになりますと、まあ、アメリカにはほとんどさまざまな名前が違いますけれども、大学にはボランティアセンターがあります。ここにはボランティアコーディネーターという縁を結ぶ役割を持つ専門のプロフェッショナルがおります。みなさんご存知の日本の地域のボランティアセンターにいる専門の職員と同じです。大学の労働法の先生はそこのボランティアセンターに出かけて行きます。私が調査した大学で一番多かったのは、11人のプロのコーディネーターを抱えている大学もありました。このボランティアセンターをわざわざ町の商店街の真ん中に置いている大学もあります。そして地域との融合をはかっていこうという大学もあります。この労働法の先生は、「私は労働法を教えている教授なんだけれども、この授業の一環としてサービスラーニングを導入したい」ということをボランティアコーディネーターに話をします。そこの場でたちどころにコーディネーターは予め調査しておいた地域における様々なNGO・NPOのボランティア団体のリストをコンピュータから出してきます。協議をしながら、どこが最もこの授業にとってふさわしいかを例えば選んでいきます。そして、例えば、ホームレスの人々に取り組んでいるNGOに、例えばそこに学生が行って、勉強していくわけです。日頃学んでいる労働法の知識を生かしてそれを社会の中に役立ててみる、そのことを通して、何のために自分は労働法を学び、労働法を通して労働法という学問というのは一体だれのためにあるのかということ、学生たちの興味と関心を引き出していきます。こういった教授法というのは、一つは大学にとっても大変大きな役割を果たしています。有効性があります。それは、地域の中の大学として、人々に信認を得るからです。二つ目に、教授にとっても大変大きな役割を果たします。何しろ学生が自分が教える学問に興味と関心と学ぶ意欲を持ってくれます。自分が教えようとしている学問というものが一体だれのためにあるのかということも知ってくれます。このことによって、このサービスラーニングという教授法は、飛躍的に学力というものが伸びていきます。そして三つ目には、学生自身にとっても有効です。何せ自分が学んでいる学問に対して関心を持つことができるからです。学ぶことの喜びも獲得することができるからです。四つ目に周りのコミュニティ、地域社会にとっても有効です。大学という学問の府、そして学生のマンパワーというものが大いに地域の諸問題に取り組んでいるNGO・NPOのために役に立つということです。大学、そして教師、学生、そしてコミュニティ、そういったものに大きく作用していくこの教授法というものが、実は今まで一つの大きな壁にぶつかっていたアカデミックな学問の学ぶ方法というものに新しい価値を与えていて、より創造的に、より学生たちが意欲的に取り組んでいく勉強の仕方というものを生み出しているわけなんです。
みなさんご存知のように、たとえば、日本では、中学校2年生の数学嫌いは60%を超えるというふうに言っています。今の子供たちが、アカデミックに学んでいる学校の様々な教科というものを、自分は一体何のために学び、学ぶ喜びというものをいかに獲得できないかというのも、日本の大きな深刻な課題になっております。このサービスラーニングという教科教授法は、新しいアカデミックな学問を学んでいくボランティア活動の持つ教育力を活用した、一つの大きなヒントとして大きな役割を果たしていくというふうに思っております。
このシンポジウムは、経験値というものを与えていただいております。経験値ということは大変刺激的で素晴らしい言葉だというふうに思います。私はそれに加えて経験値から新しい学び、言うならば共に生きる共生値ということの問題提起をしたいと思います。経験から共に生きていくための学び、そういったものを確立していこう、そういうものは今若者たちが一番刺激的に考えているグローバルな世界から自分の足元を見ていくという、そういった中からの教育実践というものに大きな役割を果たしていくというふうに思います。国際教育というものにこれから期待をしていきたいというふうに思います。どうもありがとうございました。後、米田先生がちゃんとフォローしてくれるというふうに思います。失礼いたします。
米田:
主として学校教育の視点から少しお話しをさしていただきたいと思います。私のコメントはレジュメの副題「国際教育のコンセプトを探る」ということろにございます。そういう視点でお話を申し上げたいと。しかし、私この国際教育のコンセプトを探るというテーマへのアプローチは主題の新しい知を探るという作業と深くかかわっているのではないかと思います。
先ず始めに、副題だけでなく、主題にもございます「国際教育」という概念について、少しコメントしたいと思います。日本では80年代、国際化が著しく進展してまいります。84年から87年まで、数回の臨時教育審議会の答申がなされるわけでございますが、そこで国際化に対応した教育、が強調されてまいります。80年代、国際化に対応した、国際化の進展の中で様々な国際化に対応した教育の取り組みが見られてまいります。国際理解教育もそうですし、又、グローバル教育、あるいは開発教育、あるいは異文化間教育、そして在日外国人教育、様々な教育が花盛りとなってくるわけでございます。そして、これらの多くは今日まで引き継がれているわけでございます。ところで日本の国際教育という名の教育というのは、私の理解してる限りではこうした80年代の様々な国際化に対応した教育のその総称、トータルですね、総称といった性格を持っていたのではないかと思うわけでございます。だからその、最初からそもそも国際教育とは何か、そのコンセプトは、といったまあいわば追及というのは殆どなされないまま今日まで来てしまった。実際、様々な教育のどこが共通していて、どこが違うのか、というような作業も十分に深められないまま、日本では今日まで来ているわけでございます。
ところでユネスコには70年代、国際教育と呼ばれる教育がございました。過去形でございます。戦後、国際理解教育を提唱してまいりましたユネスコは、国際理解教育の発展として74年、1974年に大変重要な提言、つまり「新しい国際理解教育」を提唱してまいります。それは国際理解、国際協力及び国際平和のための教育並びに人権、および基本的自由についての教育、大変長ったらしい教育です。これあまり長ったらしいのでユネスコも気が引けるとみたのか、これを国際教育と略称しようということを提案いたします。このユネスコの提唱する国際教育には明確なコンセプトがございました。そのコンセプトはユネスコ憲章を踏まえて、国際理解教育が出てくるわけでございますが、その平和、人権これがコンセプトでございました。むろん、80年代、しばしば日本で用いられるようになってきた国際教育というのは、このユネスコの国際教育とは全く一線を画する形で出てきたというか、用いられてきたと言っていいでしょう。
私の話のポイントはレジュメにございますが、私がここで申し上げたいことは3つございます。その1つは副題にございます、日本の国際教育のコンセプトを探るという作業でございます。これを私はユネスコが90年代の新しい教育を創造していくという動向、動きを紹介しながら、日本の国際教育のコンセプト作りへの問題提起をしたい。これが1つでございます。これがレジュメ1でございます。2つ目は90年代から世界的にグローバル化というのは進んでまいります。その中で今まさに日本の国際教育はパラダイムの転換を迫られていると、こういうふうに考えてるわけで、その転換する視点を、基本的には視点をここで明示したい。これが私のレジュメの大きな2番でございます。3番目ではこうした新しいコンセプト、中心概念でございますね、コンセプト。中心概念の基に、じゃあ国際、日本の国際教育をどのように展開し、新しい知をどう育んでいけばいいのか、それを最近注目されております総合的学習の中に求めて少しコメントしてみたい。特に学校と地域との連携という視点からお話しをしてみたいと思うわけでございます。先程の興梠さんのお話しは極めて具体的でございましたが、私はちょっとこうあえて堅くなってしまいます。それから興梠さんでは、「米田さんのこのレジュメは2時間かかりますね」というお話しでございましたがこれを30分でやるんですから、大変シンプルに端折ってしまいますのでその点をお許しいをただきたいわけでございます。
それでは先ずそのテーマ1でございます、レジュメの1でございますね。90年代世界的にグローバル化がどんどん進んでいく、その中で世界的な規模の問題が浮き彫りになってきて、これが非常に深刻化してまいるわけでございます。具体的には2つ指摘が出来るのではないかと、大きく。1つは貧困、環境の悪化、あるいは人権侵害等々が出てくる。これが1つでございます。2つ目は難民、労働者移民等々による多民族化、先進国の多民族化あるいは、それに基づく多文化化、これが引き起こしてくる文化摩擦、対立、そして人権侵害等々でございます。それまで、国際理解教育を、世界的な国際理解教育の推進役を担ってきたユネスコは、こうしたグローバル化が突きつけてきた問題をどう受け止めていけばよいのかという、まあ深刻な課題に直面するわけでございます。こういう課題解決に向けて、90年代ユネスコは新しい国際教育の創造を始めていくわけでございます。90年代と申しますと、この10年間に3つの新しい国際教育の提言がございます。その1つはレジュメ、大きな1番のAの94年の平和人権民主主義のための教育。Dの96年の21世紀教育、21世紀教育国際委員会報告、6番、Eでございますが、98年の平和の文化と共生のための教育でございます。これらの3つは明日シンポジウムのシンポジストの山下先生、九州大学の山下先生が日本で最初にずっと紹介をして私どもの研究所の図鑑、紀要にずうっと紹介し続けていただいたわけでございます。明日またお話しになるかもしれません。ここで是非申し上げておきたい事がございます。それはユネスコは国連と同様に基本的には国家によって構成される国際機関でございますが、しかしユネスコはとりわけ民間の力を非常に重視いたしました。特にNGOとの連携を非常に大切にしてきたわけでございます。事実私自身その2番目でございますが、94年の人権平和民主主義のための教育のドラフト、素案作りに日本のNGOの代表として原案作りに参加したというプロセスが、この民間NGO等々の力を非常に重視してきておるわけで、私ここで何を申し上げたいかというと、これから申し上げる3つのユネスコの提言というのは国家の代表だけじゃなくて、いわゆる世界の民間レベルの動向を反映しているものだと、というふうに理解をしていただきたいわけでございます。
そこで先ずその1でございますが、94年の平和人権民主主義のための教育でございます。レジュメでは4つのポイントに分けてるわけでございますが、私はもう時間が無いので、とりわけ大切な点、2点に絞ってお話しをしたいと思います。その1点は何かといいますと、この教育の狙いを明確に、目的ですね、これを明確にしてること、つまりそれは平和の文化を世界に築く市民を築いていくんだとこういうことを明確に打ち出しているということでございます。ここで注目したいことは平和の文化という新しい考え方が登場してきた。先程興梠さんがちらっとコメントされたわけですが、この平和の文化というのが出てくるわけです。2番目その2でございますが、平和の文化を築く市民を育てるためには知識も大切なんだが、もっと大切なのは態度、スキル、特に態度でございます。ユネスコでは学びに3つのレベルを考えておりまして1つは知識のレベル、それからスキル、技能のレベル、3つ目は態度のレベルでございますが、この態度を非常に重視してるわけでございまして、これは日本の生きる力をということとまあ同じように考えていただいていいんじゃないかと。実はこの平和人権民主主義のための教育はこの態度、スキルを育てるためには学校だけではだめであって、地域社会と学校が連携していかなきゃあだめなんだと、こういうことを強調しているわけでございます。ここで今申し上げましたユネスコによって提起されてまいりました新しい考え方、平和の文化について少しコメントしておかねばなりません。これはレジュメ1のCでございますが、平和の文化でございます。平和の文化の原点はこれはユネスコ憲章にございまして、みなさんご承知の通り「戦争は人の心の中で起こる。だから人の心の中に平和の砦を築かねばならない」という有名な文言がございます。この文言を中心といたしまして、ユネスコ憲章の全文から導き出された3つのキーワードがございます。3つのその1はですね、平和というのは人間が作っているものだと。つまり今まで科学技術の発展が重要視されていたことに対して、人間の回復といいましょうか、人間が平和を作るんだということを明確に書いているということ。2つ目は平和の砦という文言が出てまいりますが、平和の砦の砦はしっかりとしてないと崩れてしまいます。そのベースは命の尊厳なんだということを明確にしていると。それから3番目は平和の砦を築いた人間、市民がお互いに連帯する。繋がりあっていくことが大切なんであって、その繋がりの向こうに平和が見えてくるんだ。こういう考え方があるわけでございます。ここでもうちょっと平和の砦というのはいったい何かということをコメントしなきゃならない。これはレジュメ大きな1のCのウのところに書いてございますが、ユネスコは平和のキーワードとしていくつか提示をしているわけでございます。これについてはレジメございますので私はいちいち申し上げませんが、1番この中心はやはり平和の命の尊厳、人権尊重でございます。これら、今申し上げました平和の文化のキーワードっていうのは、日本の国際教育とりわけ国際理解教育でもその学び内容のキーワードとして掲げられてきたものでございます。ここで大切な事は平和の文化を考える時ですね、つまり平和の文化を社会、あるいは世界に築くということは一体どういうことかっていうことを、もう一回確認をしておきたいと。その2点を私は見ておきたい。1つは何かというと先ず平和の文化を先ず私達人間、私達一人一人が心の中に育んでいく、刻んでいくことが必要だと。その刻んでいくとこの営みが国際教育の大切な営みそのものであるということが1つでございます。2つ目は何かというと、これはですね、その学校を含めて学びというのを身近な地域、地域の暮らしの中でこれを育んでいくことであると、そしてその地域の中で、育んだ私たち一人一人が繋がりあっていかねばならないと、平和の文化とは正に繋がりあった結果生まれてくる地域あるいは社会、世界の社会のありよう、世界のありよう、これが平和の文化だという考え方でございます。つまりこの平和の文化とは平和を築こうとする私達一人一人の学び、生き方と深く係わっているということですね。あるいは社会そのもの、ありようなんだとまあこういうようにとらえていただいたらいいんじゃないかと思います。
ところで先程興梠さんが少しコメントされておられたんですが、3年前2000年が平和の文化国際年と国連が定めたわけでございます。この理由は平和の文化の国際年というのを定めたのはこの平和の文化の考え方を世界に広げようという、まあそういう狙いがあった。つまり私は国連の21世紀のグランドデザインを描こうとした狙いがあったと考えるわけでございますが、実はもうちょっと具体的に申しますと、その狙いでございますね、実は94年に先程も出てまいりましたが、国連は人間の安全保障、これヒューマンセキュリティーといわれてるわけでございますが、人間の安全保障という考え方を打ち出してくる。つまりですね、戦争の無いことも大切なんだが、これからの世界の平和っていうのは地球上の全ての人達が人間らしく安心して生きられる、そういう社会に作っていくことが大切なんであって、そのために貧困を無くしていったり、環境の悪化を無くしていったり、人権の侵害を無くしていく。そしてまた世界中のいろんな生き方文化を持った人達、人々が共に生きていくことが大切なんだ。こういう考え方でございます。つまりこの人間の安全保障が実現される社会、世界、を築いていくということはとりもなおさず、平和の文化を社会、世界に築くことなんだとこういう考え方でございます。そして、それは国家とか国際社会がやることも大切だが、もっともっともっと大切なのは市民レベルが取り組むこと、そして地域社会で身近なとこで取り組むことが必要なんだと、ということでございまして、ここで国連が重視したのは、市民の力NGOであったということを我々は明記しておかなければなりません。
次にユネスコの提言のその2でございます。これはレジュメの大きな1のAでございますが、96年に21世紀教育国際委員会報告というのが出てまいります。明日、山下さんがコメントされるかと思いますが、私はポイントのみ申し上げておきたいと思いますが2点に絞ってまいります。その1は生涯学習の学びの4つの柱、これが出てくる。それは1つは知ることを学ぶ、2番目は成すことを学ぶ、3番目は共に生きることを学ぶ、4番目は人間として生きることを学ぶ、この4つの学びを出しているわけでございまして、これは大変重要な、僕は問題提起だと思うんでございます。そこでこのレポートは3番目のその1番、この学びのフィニッシュは人間として生きることを学ぶことにあるわけですが、3番目のその学び、人間として生きることを学ぶその鍵は3番目の学びの他者と共に生きること、これを学ぶことなんだと、これを学ぶことによって人間として生きることを学ぶことになるんであって、そしてそれはとりもなおさず他者と繋がり合っていくこと。繋がり合っていくことが人間として生きることを学ぶことなんだと、こういうふうに述べている、これが1つ非常に重要なことではないかと思います。それから2つ目に重要なことはですね、その学びの舞台といいましょうか、営みこれが生涯学習であると。この生涯学習では今まで自己実現というのが大きな狙いでございましたが、それだけじゃないんだよと。これからの生涯学習の一番大切なことは目的はですね、ボランタリィな活動、社会、地域での様々な活動に参加すること、これがこれからの生涯学習の一番大切なことなんであると。こういうことをいってるわけでございます。それからこういうですね、94年の平和人権民主主義のための教育と、96年の21世紀教育国際委員会報告を踏まえてユネスコは最後の新しい国際理解、国際教育の仕上げをいたします。これがいわゆる98年平和の文化と共生のための教育でございます。この教育私はこれから申し上げますのは平和のための、平和の文化と共生のための教育だけじゃなくて、この90年代をトータルして私ここでユネスコが提言した新しい21世紀の国際教育のコンセプトを私なりに3つに整理した、これが3つございます。それはですね、命の尊厳と、2番目が繋がり合いと、3番目が参加すること、ということでございます。これはレジュメのですね、1のEのアでございます。ここに私がまとめて書いておきました。無論そのこれをまとめて共生といってしまえば、それでよろしいんですが、これが共生といってしまいたいところですが、ただ単に共生といっても、具体性を欠きますので私はあえてさらに3つにコンセプトをし、そこで示した問題提起をしたわけでございますが、この他にですね、この他に90年代ユネスコの新しい国際教育を創造していく提言の中で、このコンセプトの他にあと3つだけ申し上げておきたい、確認しておきたいと思います。その一つは何かというと、先程申し上げておりましたように、新しい国際教育の学びのスタートは地域なんだと、地域の学びを世界に広げていくことが大事であって、先ず出発点は地域なんだと。無論世界から地域を見るという目、これは当然大事なことです。しかし、非常に地域を重視しているということでございます。2番目はですね、この学びの内容のキーワードですね。平和の文化のキーワードでございますが、あるいはここにちょっとレジュメでございますが、レジュメの大きな1番のEのイでございます。人権尊重とか、地球的課題へのアプローチ、異文化理解、対話のコミュニケーション、それから民主主義とかいろいろございますが、こういう学びの内容をばらばらにやる、学ぶのではなくて、総合的に学ぶことが大切だと。この総合性というのを非常に重視してることでございます。それから3つ目はどんな人間を育てていくのか、育てないのかということを明確にしなさいよということを非常に強調しているわけでございます。それはまさに平和の文化を築いていく市民を育てることだとこういうことをいってるわけでございます。以上、ユネスコの90年代の動きを私はお話しをする中でしてまいりました。
ユネスコっていうのは、新しい時代グローバル化の動きに合わせて、人類共通の課題の解決に向けての新しい国際教育の取り組みを模索してきたわけでございますが、私はこれをそっくりそのまま、真似をしなければならないと言ってるんでは決してございません。90年代、私達はこのグローバル化の中で私達の手にしている国際教育という考え方、これをやはりもう一度見直してみるという作業が必要なんであって、私の係わっている国際理解教育もですね、これを必ずしもきちんとやってこなかったという反省がございます。そういう意味で私が会長をしております、日本国際理解教育学会では今、今まさにその見直し作業に取り組んでいるところでございますが、まあこういうことを申し上げておきたいわけでございます。
次に私の本日のテーマ、2番目に移りますが、つまり日本の国際教育はパラダイムの転換を迫られてると申しましたが、その基本的な姿勢は2つございます。それはですね、私はいろんな様々な国際教育の取り決めがあるわけでございまして、それぞれの個性に応じたアプローチがあってもいいと思うわけでございますが、やはりその取り組みに共通したコンセプトが必要なんじゃないかと。もし国際教育をそうしたグローバル化に対応した教育の総称として用いるのならば、国際教育に取り組む私達がそういうコンセプト作りの努力を是非しなきゃならない。その参考として私はユネスコのコンセプトを皆さんにご参考として提示しているわけでございます。それからもう1つ大事なことは国際教育の目的、目標を明確にするということでございますが、目的というのはどんな人間を育てていくのか、期待していくのかということでございまして、ユネスコは平和の文化を築く市民と言っているわけでございます。興梠さんはレジメを拝見しますと自立した市民とこういう指摘をしていらっしゃいます。NGOに係わっている方々は自立した市民というコメントされています。これが目的を明確にすると。目標でございますがその期待したい人間像のいわば資質や能力でございます。態度、スキルと言ってもいいかもしれません。生きる力といってもいいかもしれません。ユネスコは平和の文化のキーワードを挙げているわけでございますが、興梠さんは新しい知、経験知として自己表現力、社会力、学、学ぶ力、市民力を挙げていらっしゃるわけでございます。こうした国際教育でどんな目標を掲げていくのか、私はやはり協議会の、この研究協議会のこれからの課題であろうと思うわけでございます。
最後に3番目の本日の私のテーマの3番目でございますが、今生きる力を育む学びとして、総合的学習が注目されていると。総合的学習において国際教育をどう展開していくのか、皆さん非常に関心のおありのところだろうと思うわけでございます。全国的な調査をいくつかされたのがあります。私もしておりますが、高校での総合的学習のテーマとしてはランキングいたしますと、1番が進路・生き方、2番目が地域、3番目が国際理解でございます。国際理解がかなりグレードが高いわけでございます。そこで総合的学習において生きる力を育むという視点からあえて2点を申し上げておきたいと。その1点は何かといいますと国際理解という概念でございます。これは2点、その1は国際理解という言葉、概念を解釈のウイングを広げるということでございます。つまり国際理解というと、国と国との間ということになっちゃうんですが、国は国際レベルにこだわらないで人間レベル、地域レベルから考えていくという視点、これが必要だろうということでございます。ランキングで言いますと1位が生きる、生き方。2番が地域、国際理解というふうになっているわけでございますが、ここで皆ばらばらに取り上げられているんですが、私は生き方、地域、国際理解を総合して取り上げる視点、扱っていく視点が是非我々は大切にしていきたい。これが1つでございます。2つ目は、1つ目は国際理解の解釈のウイングを広げるということ、2つ目は何かというと学びのウイングを広げるということでございます。つまり、学校と地域の連携を深めるというふうに申し上げてもいいかと思います。私がこの国際的学習、総合的学習の中では最も大切だと考えておりますのは、生徒達が社会のいろんな人々と触れ合う、出会うといいましょうか学びのウイングを広げるこの総合的学習はその可能性をうんと広げてきたというところに意義を認めてるわけでございます。事実その今どんどんそういう可能性が広がりつつあるわけでございまして、もしこの広げる可能性をですね、どんどん広げていきたいわけでございますが、しかし、調査を見ますと我々の期待に反してかなり課題が多いように思います。例えば総合的学習、一体学校と地域をどういうふうに連携していくのか、皆目検討がつかないという、この課題がいっぱいアンケートで出てまいります。それから現実には総合学習といってもボランティア学習というのは非常にグレードが低いわけですね。総合学習の中では、あるいは総合学習の中で国際教育を先生達はですね、進める時にお金が無い。これは国際、総合的学習全体かと思いますが、情報が少ない、お金が無い、忙しい、いろんな現実を抱えていらっしゃるわけでございます。正直高校における国際総合的学習はもっか苦渋に満ちた模索中であるといってもいいかもしれません。しかし、問題は可能性を広げるのか狭めていくのかということではないかと思います。そしてそれは教師の努力といいましょうか、教師の覚悟を今決める時ではないかと、こんな風に考えております。
最後に2点のみコメントして終わります。その1つはですね、国際教育を育む、育みたいと申してもいいかもしれません、その我々の人間像やその資質能力についてのコメントでございます。大切なことは教育の営みというのは生徒達が学び育つ場を作っていくことであると。こんな教師や子供を作りたいという、これはあまりにも尊大すぎるわけで、自ら学ぶ、そして育つ場を作っていくことではないかと。その学びの場として最も大切なことは、やはり多様で豊かな人と人との出会いの場、学びの出会いの場作りなんじゃないかと、これが1つでございます。2つ目は何かといいますと、教師はこういう学びの場、学びの出会いの場、を作っていくためのデザイナー、コーディネーターあるいはファシリテーター、プロデューサー、こういう役割をこれからしていくことが必要なんであって、その前に先ず問われるのは教師自身の市民としての、1人の市民としての生き方や在り方ではないのかなあとまあそんなことを感じてるわけでございます。ちょっとオーバーしました、ごめんなさい。とりあえず第1ラウンドは以上で終わらしていただきます。
質疑応答
榊:
いやいやちょっと、質問を先ず、いやちょっと受けてたってください。
興梠:
先程私トップバッターで興奮してまして言い忘れてました。アメリカのサービスラーニングでですね、大学から発展していって、2001年のデータですと、高等学校においては56%の高等学校がこのようなサービスラーニングを導入しているということでこの率はどんどん増えてるということです。又アメリカのその高等教育から発展したこの教科教授法がEU欧州共同体のブリュッセルの本部で専門部局を作っておりまして、今、ヨーロッパでもこれを進めております。まあこういったことをやることを通してより創造的なその人格を作り上げていくということで、もうもはや日本は敵ではないと、経済力やですね、又、学ぶ力においてもですね、もう敵ではないということを言われておりまして、ちょっとびっくりしました文部科学省は1998年ですが、専門家を集めて7人程ですけれども、とりあえず大学におけるいわゆるこのサービスラーニングについてのですね、ホワイトペーパーといいますか、なんですか研究、調査研究協力者会議を開いてレポート出しております。広中平祐さんを座長にして私と数人の人達でまとめておりますが、これは何も大学だけの問題ではなくて、おそらくまだまだですがこれからの日本の教育にはかなり大きな役割を果していくだろうというふうに思われます。
総合的学習の時間がスタートしているわけですが、そのとりわけ、その地域の情報や福祉や環境や、それからまあ国際的な様々な課題というものと、教科というものをどうやって結びつけていくのかというところが大きな課題になってるわけですが、このサービスラーニングに関するですね、様々な実践の中にはおそらく先生方には沢山、ヒントになるものがあるのではないかというふうに思います。
それからもう1点ですが、これ米田先生にお伺いしたいんですがその前に私が1点だけお話ししてバトンタッチしたいと思うんですが、私もいろいろ言いましたが、じゃあ具体的にそれをどう進めていくのかということです。というのは私が今先程からまあ例えばボランティア活動の持つ教育力というものが、家庭や学校や地域社会における教育力として非常に重要なんだという話しをお話ししたんですが、しかしこれはその社会的な環境というものを整えていかなくては、これはいくら教師が頑張ろうとしたって難しいわけですし、又、地域の社会教育の活動家が頑張ろうとしたって無理なわけです。やはりその家庭と地域と学校が一体になって、教育、このような学習を行っていく環境というものが必要になってきます。これで今まあ別に私文部省の宣伝してるわけじゃないんですが、皆さんご存じのように一昨年、文部科学省、国会は学校教育法、社会教育法の一部改正を行いまして、そこの中にボランティアなどの社会奉仕体験活動というものを推進していくということが、法律の文言に入ったわけです。又、それを受けて、今現在私も中教審に係わっておりますが、中央教育審議会が昨年の7月に行いましたレポートの中では細かく、ただやろうというだけではなくて、地域における推進施策についても問題提議をしております。この1つが全国の3000の区市町村の中に体験活動、ボランティア活動支援センターを作っていって、そのような、家庭、学校、地域がお互いに共同して進めていけるような仕組み作りをしていこうということもやっているわけなんです。予算がずっと続いていくのか心配はしているんですが、全国レベル、都道府県、又市町村レベルにそういった学習を進めていくための環境づくりっていうことも、進めていかなければいけない。そして先生方の教育実践をバックアップしていかなきゃいけないというような取り組みが今行われております。又、一部私が係わっておりますが、例えば千葉県の木更津市においては市内の全小中学校に教育長さんの英断でボランティアセンターを置き、ボランティアコーディネーターを配置してるというような市も現れております。それを受けて、又、東広島市でもそういうことを行っております。全ての日本の小中高等学校、学校に大学も含めまして必ず図書室、図書館はあります。本を読むことを奨励しながら、一方で助け合うことを奨励しないのは何でだろうかと私は思います。学校の中にそのようなですね、高等学校になりますと生徒達自身が参画をしてですね、学校と地域社会を結んでいくようなボランティアセンターのようなものが出来てくといいと思います。又それに対して様々な地域のNGO、NPOがそこに一緒に共同して、その運営に係わっていくというような、新しい仕組みづくりが行われていくと、今文部省なんかがしきりに言っております、学校支援ボランティアなどというのももっと成功裏にいくと思います。木更津市の学校におけるボランティアコーディネーターは活動を豊富に行っている経験を持つ市民が交通費だけでボランティアで行っております。そして学校の先生の中ではボランティアを担当していく校務分掌で決まった先生と地域から選ばれだコーディネーターが一緒に話し合いながら進めております。1つは先生自身が地域をベースにボランティア学習をやりたい時に、様々な情報を集めて提供して、先生に提供してあげることです。先生がわざわざ学校へ出掛けて行って調べなくてもいいわけです。2つ目にそれを受けた生徒達が活動したいと思えばコーディネーターがどこに行けば活動することが出来るか、情報提供することです。3つ目に地域の人々が学校に教育に参画をして応援をしたいという時にその手だてを教えてくれることです。そのようなやはり学校教育と又、地域や家庭の教育というものを融合していくような仕組みというものも必要になっていくというふうに思います。ということで米田先生、私の話しをきちっと整理していただいて、いたらぬ話を整理していただいたんですがもう少し踏み込んで私もちょっとお話ししたんですが、その具体的な、なんていうんでしょうか国際教育というもの、地域の場で進めていくための、その、場作りとか、それから地域の学びを世界に広げていくという、国際教育を広げていくために、対する、こう、お考えていうのはもうちょっとつっこんでお話しいただいて、もう私はこれで終わりますので、先生のお話しでまとめていただければというふうに思います。よろしくお願いいたします。
榊:
司会の方もそう思いますので、最後に米田先生、是非おまとめいただいて、終わっていきたいと。明日又興梠さんはコーディネーターとしての出番がございますので、すいません。
米田:
どうも打ち合わせと流れが違うようです。はい、2点申し上げたいと思います。実は興梠さんがどう進めていくのかっていうお話し、具体的に、これから地域と学校の連携をどう進めていくのかということをコメントされました。私実はごく最近、もう全国的に総合的学習、地域と学校の連携も含めて、総合的学習の課題の調査をしたわけでございますが、実にですね課題に悩みが一杯で、もうぎょっとしてしまったんです。しかしそれぞれ皆うなずけるわけです。地域と社会の連携という前にですね、先生方は教師の負担が増えるじゃないか、お金が無いじゃないか、とにかく時間が無い、忙しい、もうとにかく大変なんです。やはりこういう現実というものをですね、我々がしっかり見ないで、理想論をその辺の問題が非常にあるんじゃないかということを痛切に考えさせられているわけです。私の7月初めに締め切ったトータルした私のアンケートのまとめには20項目ぐらいの悩みがずらっと並んでるんですよ。私はこれを見ながらですね、道険しとしみじみ思っているわけでございますが、しかしそれでも先程申し上げたように、やらねばならないと、それは次のところでは少しお話しをいたしますが、実は私関西に200ぐらいのNGO、NPOの名前は関西国際交流団体、国際交流協力団体協議会というのがございまして、その副理事長をさせていただいております。この団体がですね、関西地域あるいは、全国的にですね、学校をサポートする一つの拠点としての役割を今着々と揃えつつある、整えつつあるわけでございます。非常に大切なことはやはりそういう地域地域にそういうサポートの拠点をやはり作っていくこと、ぼつぼつこれが始まろうとしてるわけで、これをどう作っていくのかということがこれからの課題だろうと思うんです。しかしそれよりも何よりも私ですね、思うんですが、アンケートの結果からもいえるんですが、先ず学校の先生がこれから学校を変えていく、新しい学びの場を作っていく、子供の中に生きる力を育んでいくためには、地域と連携することは大切なんだよと、認識はですね、まだまだ十分ではないということです。教師の発想の転換、考えの転換をしなきゃ、だめなんだなあということをしみじみ私はアンケートを睨みながら思っているわけでございます。又、地域もですね、やはり学校と連携しながらやはりどのようなものを提案、提議していったらいいのかということ。ただ単に情報を提供するだけじゃなくて、NGOの人たちが子供達の前で、自分達の生きざまを語っていく、語れるNGOでありたいということも考えるわけでございます。
そんなことを時間がございませんので先ず第1ラウンド、先ず1つコメントです。もう1つですね、何かおっしゃっていただいたんですが、何か地域と連携はどういう意味があるかということですね、世界を広げることですね。はい、ちょっとよろしいですか。それじゃあ、今ご質問にどこまで答えられるかどうかわかりませんが、ここですね、3年程5つの大学で、大学1年生、高等学校から上がってきた大学1年生500名位の3年間程調査したんです。21世紀を君達は生きる自信があるかと。もし自信がないとするならば、なぜかというアンケートでございます。80%位の若者達が生きる自信がない。どちらかといえばないと答えております。じゃあどういう問題があるのかというとですね、ベスト3が3つあるんです。1つは何かといいますと、自分のしっかりとした考えがない。これを他者に伝えるコミュニケートが出来ないんだと。これは興梠さんのおっしゃる、自己表現力ですね。これがあるわけです。2つ目は何かといいますと、これはですね、社会や世界の事に関心が低いということですね。これ自分で認めてるわけです。3番目はですね、自分に自信がない。自分らしさを欠く。という。これ3つあるわけです。これは大変重要なんでございまして、つまり彼らは、ここに高校生達もいらっしゃるわけですが、自分達は知識がないということではなくて、生きる力を欠いている。そしてこの生きる力を学校が教えてくれなかったといっておるんです。はっきりと。このことはやっぱり先ず教師が受け止めるべきだろうということを、言われてるんですよ。生きる力を育んでないこと言われてるわけですが、正に若者達がずばり言ってるこの深刻な叫びを教師がきっちり受け止めるべきだと。私は私自身ショックを受けたわけでございます。自分のしっかりとした考えがないということ。これはですね、興梠さんがいつもおっしゃってるんですが、メッセージがないと。君の、人に伝えたいメッセージは何かということをこれを問い掛けたいということ、前に興梠さんの話で私非常に覚えてるんですが、メッセージを持っていない。自分の言葉を持っていない。国際交流にしてもですね、自分を語れないわけです。それは何故かというとやっぱり学びの体験ですね。自分もない生き方について考える機会を持って、持たされてこなかったということが1つ理由、1つの理由ではないかなあと思ったりするんですが、これは1つでございます。
それから2つ目関心が低い、無関心ということでございますが、今これは大人もそうでございますが、自分の暮らしを外に向けていくという力が非常に弱いわけです。自分の周りの人達に対する思いやりは確かにあるんですよ、今。子供達に若者達に。しかしこれをですね、遠くの人々に繋げていく、これはかわいそうだというところまでいくんですが、もう1歩踏み込んで、繋げていくということが無いわけでございます。若者達の調査がいくつかあるんでございますが、例えば環境、人権に関する全国的な調査、私の手元にございますが、こういう問題に対する理解は示してまいります、しかし問題解決へ向けてのアクションというのは起こさない。総理府がずうっとやってまいりました、世界10ヵ国の青少年意識調査。日本の若者が一番アクション起こさないんです。何故アクションを起こさないかという質問に対してこう一番多いのはですね、僕、私一人頑張ったって社会は変わんないと。これがあるんでございます。いうならばエンパワーメントされていない。あるいは無気力ということが言えるんじゃないか。この無関心の背景にはやっぱりこのエンパワーメントされていないというか無気力があるんじゃないかと思います。
それから3つ目でございますが、自分に自信が持てないという。これは非常に多いわけでございまして、今流行りのセルフセスティームという自尊感情というのがございます。自分が好きでない。自分を大切にしない。自分が嫌いだと。こういう若者が、子供達が非常に多いわけでございますが、先程ちょっと出てまいりました、21世紀教育国際委員会報告、ユネスコのですね、これはですね、他者と共生、共に生きる、共生していくためには、まず自己理解が必要だということをいっているわけでございます。自己理解というのは他者と繋がっていくために非常に大切なんだと。先程興梠さんもですね、自分、自己理解ということを、これからの学びとして大切なんだということをおっしゃったわけでございますが、ここのところが非常にポイントだと。つまり、自分のメッセージを持っていないということと、それから、無関心、エンパワーメントされていないということと、自分に自信が持てないということ。若者はこれを自覚してるわけですねえ。自覚してるわけです。
国際教育ではですね、私達の取り組む国際教育では、じゃあこの現実をどう打ち破っていくのか。つまり、知識を教えて、どちらかといえば教えている、我々の国際教育の中で、この若者の現実とどう向き合うのか。この問題解決に国際教育がどういう役割を果していくのかということ。これがこれからの課題だろうと思うんですが、その次に興梠さんはですね、私が述べた学びの出会いとか、あるいは、学びの場を作るとか、あるいは学びを世界に広げるっていうことは具体的にどういうことだっていうことをちょっとご質問をされたと思うんですが、私はこの学びの多様で豊かな学びの出会いをどんどん作っていくことが大切だということを申し上げたわけでございますが、こういう学びの出会いというもの、実は今まで若者達が必ずしも、十分学校教育の中で手にしてこなかったのではないかというふうに考えております。私は、教育は学びの場づくりだということを申し上げたわけです。それはですね、とりもなおさずいろんな人と出会う。その出会いの中で一人一人が生かされている。そんな関係を作っていくことが大切じゃないかというふうに考えてるわけでございます。学ぶということは自分の言葉が、生き方が他者に受け止められる。他者の言葉、生き方を自分が受け止めていく。この相互の、お互いの、このいわゆる言葉、生き方のキャッチボール。これの絡みが、これが絡み合わされていく、こうした学びの中でこそ、私は自分の暮らしを変えていく主体的なエンパワーメント、力がエンパワーされてくるのではないかと考えてるわけでございます。
それからもう1つ、地域の学びを世界に広げるということを申しました。これも言葉では言えますが、非常に難しいことでございます。若者はいろんな生き方をしてる人と地域で出会っていく。その出会いの中で他者の苦しみや悲しみや痛みというものを、少しでも分かろうと、努力をする、想像する。その中でやはり想像力が培われていき、それが共感を生み出していく。共感の力になっていく。そしてそれがまた共生の大きなベースになっていくと思うわけでございます。地域から世界へということでございますが、私の好きなフランスの作家でシモーヌ・ベーユという人が「響き合う心は国境を越える」ということをいっております。響き合う心とは共感の心、あるいは繋がりということではないかと思うわけでございますが、私共が研究所で、私の研究所で数年前に地球市民というものをテーマで様々なシンポジウムをやってまいりました。この本が、地球市民は変えるという題で本に出版されております。今回、持ってきたらよかったんですが、明日シンポジウムに来られる、例の砒素の、誰でしたっけ川原さんも出ていただいておりますが、そういうNGOの方々も沢山語っていただいてるわけでございますが、つまり私共が尊敬する、興梠さんも私の尊敬する一人でございますが、こういう尊敬する人たちが、全部ですね、地球市民団という言葉を声高に語っていないわけです。これが非常に大きな特徴でございます。地域でこつこつと地味に見える子供。けどもですね、地域でこつこつと世界を睨みながら地域で活動していく、それがいつの間にか世界と繋がっていく。これが私は非常に大切なことであって、こういう生き方をしてる人こそ、私は地球市民だなあと、しみじみ2年間のいろんなシンポジウムの結果、教えさせられたのでございます。だから、地域の学びを世界へと、これは言えるんですが、そんな簡単なもんじゃない。先ず地域でどう生きるか、ということが先ず問題であろう。その生き方が世界へ繋がる繋がり方と深く係わってくるというのが、私のいろんな様々な、尊敬する先輩達との出会いの中で私が学んだコメントでございます。ある人は言いました「足元を深く掘れば、地球の向こうに飛び出していくんだ」ということは実に見事だというふうに受け止めているわけでございますが、これ返事になりましたっけ、すいません。どうもすいません。こんなことです。
榊:
ありがとうございました。お二人の先生方、熱弁を奮っていただきました。お二人共にこういう形で出られるというのはほんとに随分長い間なかったなあというふうに思っております。又、米田先生には、明日のシンポジウムに見事に繋げていただきました。明日、まさにそういう地域に堀り続けてる人達が又、明日とつとつと語っていただけるんじゃないかなというふうに楽しみにしています。明日はまた、コーディネーターが興梠先生ですのでよろしくお願いをいたしたいというふうに思います。ではこれをもちましてコラボレイトの講演会を終了いたします。どうもありがとうございました。
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